【直島八幡神社と高原城祉】 |
★高原城
戦国時代末期に塩飽水軍と共に小規模な水軍の将で、高原次利が直島の八幡山に直島城を築き、その城下町として本村の町並みや寺院群、神社などを整備した。ほかにも丸山城、八日山城、風戸(せと)城などの出城を島内各地に作っている。キリシタン大名でもあった高原次利は、戦国末期に豊臣秀吉に仕え備中高松城水攻めの際に秀吉軍の水先案内をした功績により1582年に男木島、女木島、直島の3島600石の領主となった。その後は秀吉の四国、九州、朝鮮への出兵でも海上輸送で功績が認められ、関ヶ原の戦いのときは東軍に味方し徳川初期の1619年に没するまで所領を守り抜いた。子孫は6代目の時に改易され、1671年に天領となる。直島城は改易後も残っていたが1781年の大火の際に焼失したと推測されている。
北の寺の高原氏墓地の見事な五輪の塔ら(町文化財)、八幡神社の鳥居(県文化財)は高原氏の豊かさと活力、高い文化が伺える。
★直島八幡神社
直島八幡神社の由緒 http://www.geocities.jp/naoshima8man/2/index.htm
八幡神社への階段前にある鳥居は香川県指定有形文化財(昭和47年5月23日)で桃山時代末期若しくは江戸時代初期の建造とされ、材質は直島産の花崗岩である。素朴で重量感にあふれた古い形のものである。
彫刻家、上原三千代さんの木彫りの猫が3体 置かれているようです。
隋神門内「いつかは眠り猫」2006年 檜、漆、白土、彩色、150×250×150mm
神輿庫「八幡さんへの抜け道」2006年 檜、漆、白土、彩色、255×170×730mm
拝殿「直島の局」2006年 檜、漆、白土、彩色、360×300×420mm
にあるようですので探してみてくださいね。
★護王神社
その老朽化が激しいので建て替えが検討されていたときアートの観点から何かできないかと声がかかり
家プロジェクトとして改修に取り組むことになったそうです。
この神社を制作するにあたり、参考にされたのは伊勢神宮の その中でも特に古い様式を保っている、瀧原宮というところだそうです。ガラスの石を積み重ねるようにして本殿から地下の石室へと続いています。(地下にも作品があるようです。)
家プロジェクトの第四弾にして、第一期の最終作品である。
杉本博司氏作品
「Appropriate Proportion (アプロプリエイト プロポーション)」2002年 木、石、光学ガラス、コンクリート
記事はWEB・現地説明案内板より参照させて戴きました。
写真は、2010年8月23日撮影
アクセス:直島役場右側を八幡山に登っていく。他数ヶ所から行けます。
地図はワイワイマップにスポット投稿します。
高原城本丸跡
高原城土塁
八幡神社鳥居=県有形文化財
八幡神社隋神門
八幡神社拝殿
八幡神社本殿
護王神社
護王神社拝殿
護王神社本殿
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高原城土塁
八幡神社鳥居=県有形文化財
八幡神社隋神門
八幡神社拝殿
八幡神社本殿
護王神社
護王神社拝殿
護王神社本殿
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