【道の駅「第九の里」】 |
☆道の駅「第九の里」
物産館は、第1次世界大戦時。現在の大麻町桧にあった坂東俘虜収容所で兵舎として使われていあた建物が近くの農家に移築され、最近まで牛舎に使用されており、平成16年に登録有形文化財に指定されていたものを再度この場所に移築し物産館としながら文化財の保護に努めています。現地建物の板塀に架かっていた施設説明板より転載しました。(登録有形文化財 第38-8049号)
物産館は、第1次世界大戦時。現在の大麻町桧にあった坂東俘虜収容所で兵舎として使われていあた建物が近くの農家に移築され、最近まで牛舎に使用されており、平成16年に登録有形文化財に指定されていたものを再度この場所に移築し物産館としながら文化財の保護に努めています。現地建物の板塀に架かっていた施設説明板より転載しました。(登録有形文化財 第38-8049号)
☆ドイツ館(一部有料)
第1次世界大戦始まると、日本も参戦し、ドイツの租借地だった中国の山東半島にある青島を攻撃しました。
敗れたドイツ兵約5,000人が俘虜となり日本各地の収容所へ送られましたが、その内、四国の徳島・丸亀・松山にいた約1,000人が大正6年(1917年)から1920年までの約3年間を坂東俘虜収容所で過ごしまし
た。
地域の人々は俘虜達の進んだ技術や文化を取り入れようと牧畜・製菓・西洋野菜栽培・建築・音楽・スポーツなどの指導を受けました。
第1次世界大戦始まると、日本も参戦し、ドイツの租借地だった中国の山東半島にある青島を攻撃しました。
敗れたドイツ兵約5,000人が俘虜となり日本各地の収容所へ送られましたが、その内、四国の徳島・丸亀・松山にいた約1,000人が大正6年(1917年)から1920年までの約3年間を坂東俘虜収容所で過ごしまし
た。
地域の人々は俘虜達の進んだ技術や文化を取り入れようと牧畜・製菓・西洋野菜栽培・建築・音楽・スポーツなどの指導を受けました。
☆賀川豊彦記念館(有料)
『愛は、私の一切である』家庭の不幸、病苦、破産など多くの苦難を乗り越えて神戸のスラム救済活動から再生した賀川豊彦。
大正デモクラシーの先頭に立ち、様々な社会運動を指導して社会悪と戦い、弱者と共に歩んだ人。戦争に反対し、生涯を通じ世界平和のために身を捧げた人。
混迷する21世紀を切り開く思想と行動の指針を賀川に求めようとする全国の人々の願望が、この記念館をつくりました。パンフレットより。
友愛・互助・世界平和を求め続けた賀川豊彦の生涯を記録したミュージアムである。
『愛は、私の一切である』家庭の不幸、病苦、破産など多くの苦難を乗り越えて神戸のスラム救済活動から再生した賀川豊彦。
大正デモクラシーの先頭に立ち、様々な社会運動を指導して社会悪と戦い、弱者と共に歩んだ人。戦争に反対し、生涯を通じ世界平和のために身を捧げた人。
混迷する21世紀を切り開く思想と行動の指針を賀川に求めようとする全国の人々の願望が、この記念館をつくりました。パンフレットより。
友愛・互助・世界平和を求め続けた賀川豊彦の生涯を記録したミュージアムである。
道の駅「第九の里」のホームページ↓↓↓↓
http://www.city.naruto.tokushima.jp/contents/michino_eki/index.html
写真は、2010年7月20日撮影
地図は、ワイワイマップにスポット登録します。
物産館


ドイツ館


ベートーヴェン像

賀川豊彦記念館

近く風景


ワイワイマップの見方
yahooトップページ→地図→ワイワイマップ→徳島で検索→《徳島県》を スクロールで選定する。
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写真は、2010年7月20日撮影
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物産館


ドイツ館


ベートーヴェン像

賀川豊彦記念館

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