<><>石清尾山古墳群の猫塚古墳<><> |
石清尾山(いわせおやま)古墳群は昭和9年1月22日に国指定史跡に指定され昭和60年7月16日に追加指定と名称の変更し平成元年8月14日追加指定され現在に至ります。
石清尾山(いわせおやま)はU字型の山で北側が窪んでいて尾根は平坦で標高は200m位で各古墳を巡るハイキングコースが造られ中高年層の恰好のコースで平日でも天気が良いこの季節は大勢が挑んでいます。(メサ型の山)
石清尾山(いわせおやま)はU字型の山で北側が窪んでいて尾根は平坦で標高は200m位で各古墳を巡るハイキングコースが造られ中高年層の恰好のコースで平日でも天気が良いこの季節は大勢が挑んでいます。(メサ型の山)
猫塚古墳
猫塚古墳は昭和60年7月16日に国指定史跡に指定されました。この古墳は、全国的にも稀な形式の双方中円墳(積石塚)で、石清尾山(いわせおやま)古墳群で最も大規模で全長96m、高さ5mである。同形式の鏡塚古墳とともに古墳群の中でも古いものひとつである。
中円部は、突出部に比べ非常に高くなっており、1910年に大きな破壊を受け中央が大きく変形いている。中央に大きな竪穴式石室一基とそれを取り囲む八基の小さな石室があったと伝えられている。
中央の石室から鏡、小銅剣、石釧(腕輪の一種)、筒形銅器、銅鏃、鉄斧、鉄剣、鉄刀、鉄鏨、鉄ヤリガンナ、鉄鏃、土師器等が発見され、東京国立博物館に所蔵されている。
竪穴式石室
猫塚古墳の中円部には、竪穴式石室が9ヶ所あったと伝えられています。普通は1.2ヶ所ですから、猫塚古墳の場合は比較的多いことになります。古墳時代以前の弥生時代の墓に良く似た例があるので、古い伝統を引き継いでいるのかも知れません。9ヶ所ある竪穴式石室の1つは露出したままでしたが、崩壊がひどいので埋めて保存することになりました。
記事中の文章は現地案内掲示板などにより転載させていただきました。
アクセス:宮脇町の石清尾八幡神社前を通り過ぎJR高徳線のガードを過ぎて直ぐに高松市民病院方面に右折します。墓地がある横を峰山公園前も通り過ぎ付き当たりを左折し第4駐車場方面に進みます。車を止め徒歩で引き返します。左側に入る小道が有ります。小道に入って右側に石垣がつながっています。少し進むと道標があります。直進は浄願寺山方面右猫塚古墳の道標です。
写真は2009年12月2日撮影
写真は2009年12月2日撮影
石積猫塚古墳
北西部が陥没している。
勝賀山・手前にはJR貨物・高松コンテナヤードが見えます。
御殿貯水池と御殿浄水場が見える。
瀬戸内海も見える。
城山・袋山方面
北西部が陥没している。
勝賀山・手前にはJR貨物・高松コンテナヤードが見えます。
御殿貯水池と御殿浄水場が見える。
瀬戸内海も見える。
城山・袋山方面
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