<><>金華山・天皇寺・高照院と八十場<><>
 天皇寺と八十場は香川県坂出市西庄町にあります。
 天皇寺は四国八十八ヵ所霊場第七十九番札所で真言宗御室派のお寺です。本尊は十一面観世音菩薩立像 開基は弘法大師
 弘仁年間、この地に来錫した空海は、空中より霊妙の声を訊いた。
 空海は、早速八十八の霊泉で得た霊木で十一面観世音菩薩・愛染明王・阿弥陀如来の三尊を刻み、堂宇を建立して金華山・摩尼珠院・妙成就寺と名付けて四国第七十九番札所と定められた。
 天正の兵火に遭い全山全焼、天和二年二月に再興したが、明治の神仏分離令に依って廃寺、その後末寺の高照院を合併し再興をはかり以後高照院と改号した。
 保元の乱(1158)に敗れた崇徳上 皇は讃岐国に流され、長寛2年 (1164)46才で崩御されましたが、 都から指示を仰くまで20日間柩を八十場の泉にしたして保存した。

弥蘇場(八十場)の怪魚  

 むか~し昔、景行天皇のころのお話じゃ。
おだやかな瀬戸内海で大きな怪魚があばれまわって、人々は困っておったそうじゃ。
 ある時、日本武尊(やまとたけるのみこと)が88人の家来をつれて怪魚を退治するため坂出の沖にやってきたそうな。
 武尊と家来たちは怪魚に向かって戦いを挑んだのじゃ我、大きな口で舟もろとも飲まれてしまったそうじゃ。
 ところが、武尊と家来たちはあきらめず、飲まれた怪魚の腹の中で舟を壊し、たきぎにして、火を燃やしたそうな。
 さすがの怪魚も腹の中で暴れられ、飲んでいた舟も人も吐き出して、息絶えたそうじゃ。
 しかし、怪魚の毒気にやられたのか、武尊と家来たちはみな一様にぐったりとしておった。
 浜の人は総出で看病したものの、毒気は強く、武尊と家来たちはなかなか生気がもどらんかった。
 その時、一人の村の童子が、武尊に一杯の清水を飲ませたそうな。
 すると、武尊は、みるみる元気になったそうじゃ。
 この清水を飲んだ88人の家来たちも、次々と元気を取り戻したそうな。
 浜の人々はたいそう喜び、武尊らを囲んで、祝の宴をひらいたそうじゃ。

 これ以来、この場所を「弥蘇場(八十場)」というようになり、死んだ大きな怪魚の腹があったところを「福江」といい、尻尾があったところを「江尻」といい、怪魚を祀ったところを「御供所」といい、骨をおまつりしたところを「魚御堂」というようになり、今もこの地名は残っておるそうな。

 この時、武尊の妃が男の子を産んだそうじゃ。
 武殻王とご命名されたこの男の子は、その後もこの地にとどまられ、讃岐の国守となった。
また、武尊に清水を献上した童子は、後に横潮大明神と言われるようになり、今も人々の厚い信仰をあつめておるそうな。
 
 ウエブサイト空海さんより転記しました。URL↓↓↓↓ 
 http://www.ku-kai.org/yasoba.html

 アクセス:高松からは県道33号を坂出方面に行きます。国道11号高架橋下を抜けると上部標識がある。JR予讃線弥八十場駅東側を山方面に行くとすぐです。

写真は2009年5月18日撮影

 天皇寺入り口
イメージ 1

 本堂
イメージ 2

 大師堂
イメージ 3

 鐘楼
イメージ 4

 白峰宮
イメージ 5

 弥蘇場の泉
イメージ 6

 甘味処(心太)清水屋
イメージ 7