四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

タグ:徳島県

寺 名:摩尼山・満徳寺
本 尊:虚空蔵菩薩
開 基:行基菩薩
創 建:奈良時代
宗 派:高野山真言宗
札 所:新四国曼荼羅霊場 85番
住 所:徳島県海部郡牟岐町牟岐浦浜崎1
マピオンマップ↓↓↓↓
マップコード↓↓↓↓
427 590 620*05
電 話:08847-2-0320
由 緒
 元万鶴山・願成寺と唱えた。応永十九年(1427)増吽僧正が中興をなした。金剛峯寺に属しているが、中本寺の寺格がある。牟岐町の中では最も由緒ある寺であり、真言寺院は全てその末寺である。本尊は虛空菩薩で、その他に弘法大師・薬師如来・聖観世音菩薩・十一面観世音菩薩・地蔵菩薩・不動明王を祀っている。
 慶長十三年(1608)国主蜂須賀家政公巡国の砌、摩尼山満徳寺虛空蔵院談議所と寺名を改めるよう仰せつけられ、一反九畝十八歩与えられ、尚、橡幕雪洞紋を拝領した。当時は家政公より別当(長官)に任じられ、地域の全ての神社を任されていた。
 境内にある松の木は、蜂須賀家政公が牟岐町(旧牟岐浦)の宝と申し、又は牟岐町(旧牟岐浦)の道しるべと言われ植樹祭を行ったとされている。その樹齢は三百八十年以上(平成15年時)である。
文化財:
資 料:現地説明板など、
参照HP:Wikipedia、
駐車場:無料
関連記事:野口 雨情詩碑
撮影日:2019年3月1日
近隣施設:

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

名 称:大里松原海岸
住 所:徳島県海部郡海陽町
マピオンマップ↓↓↓↓
マップコード:
427 374 250*48
景観指定:日本の白砂青松100選、室戸阿南海岸国定公園、潮害防備保安林、保健保安林
指定日:
解 説
 太平洋に面する幅 70m~100m、長さ 4km、面積 26ha、の弓状に広がる海岸。松の樹齢は5~300年。アカウミガメの産卵地としても知られています。
 海岸は小石で砂は見当たらないし、ゴミも漂着してない。毎日掃除をしているのかな。美しい河岸でした。
資料等:海陽町観光町会HP、日本緑化センターPDF、
駐車場:無料
撮影日:2019年3月1日
周辺施設:宍喰浦の化石漣痕、  

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

同じ方向に曲がっている
イメージ 9

イメージ 10

神社名:宍喰八坂神社
祭 神:須佐之男命
創 建:
創 基:
社 格:
住 所:徳島県海部郡海陽町久保
マピオンマップ↓↓↓↓↓
マップコード↓↓↓↓↓
427 216 822*16
電 話:
由 緒
札所等:
解 説
 幣殿・本殿の彫刻が凄すぎる。拝殿は現代風に改築されている。
H P:
文化財等:穴喰祇園祭り  国の無形民俗文化財=1999年12月03日 保護団体名:八坂神社祇園祭振興会
駐車場:無料
撮影日:2019年3月1日
資料等:WEBなど、
近隣施設:カモメ橋

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20

寺 名:小池山・弘法寺・遍照院
本 尊:弘法大師座像
開 基:宥賢法印
創 建:正保年年間
宗 派:真言宗大覚寺派
札 所:新四国曼荼羅霊場84番札所
住 所:徳島県海部郡美波町奥河内本村70
マピオンマップ↓↓↓↓
マップコード↓↓↓↓
754 514 620*17
電 話:0884-77-1006
由 緒
 
文化財:
資 料:Wikipedia、下記HPなど、
駐車場:無
関連記事:
撮影日:2019年3月1日
近隣施設:薬王寺、

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

法印の由来
 文化文政(1818)の頃日和佐に法印様という行者がおった。数々の不思議な奇跡をを行い、とくに阿波淡路に多数の信者が出来て有名になった。法印様は日和佐に生まれ幼少の頃は善兵衛と言うたが中年後は治右衛門と称した。
 当院境内の法印堂は明治初年信者によって建てられたもので現在に至る。
 法印様には、特異の人相が有った。頭の毛の先が三本に分かれていたと。(三願法印と言い三つの願いは必ずとかなえられると信仰されている。)又、眼光鋭く厳然な風貌をしており、法印様の足型を取ったものを信者が崇拝したが、法印様の足型には大の字があったと称された。【ー日和佐町支よりー】
 尚、法印様の遺品は当法印堂にて保管してあります。
イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

名 称:宍喰浦の化石漣痕
住 所:徳島県海部郡海陽町宍喰浦
場 所:マピオンマップ↓↓↓↓
マップコード↓↓↓↓
427 187 769*50
見どころ
 第3紀始新世から漸新世に生成された舌状漣痕で、露頭面積も広く、彫刻も深く、かつ数種の異型のものが別々の層をなしている。細互層の砂岩下面には、当時の生物の生態痕などの底痕が残されている。
 流れ漣痕としてその規模、保存状況などわが国でも代表的なものであり学術上の価値は高いと認められる。
文化財:天然記念物
指定日:昭和54年11月26日(1979)
資料等:文化庁データベース、現地説明板など、
撮影日:2019年3月1日
駐車場:無し(路駐)
周辺施設:
==============================================================================
「宍喰浦の化石漣痕」は、約4500万年前、新世代第三紀の始新世中期に生成にされた水流漣󠄁痕で、露頭面積も広く、彫刻も深く、かつ数種の異型のものが別々の層をなしている。地層は四万十帯、室戸半島層群の奈半利川層に属し、泥岩と互層する細粒砂岩層に上面には、水流漣󠄁痕を見ることができます。代表的なものは、波長数10cmの舌状漣痕です。水流漣痕は、断面の形態が非対称で、一定方向の流れによって形成され、当時の水流が海溝軸に沿って、東北東から西南西に向かっていたことが伺われます。下面には底生生物に生痕化石が見られ、日本海溝の水深4000mを超える陸側斜面で見られる生物の這い跡に比類されmす。当時の海溝に至る陸側斜面深部の海底の様子を物語るものです。地層面は東西に延び、北側に高角度で傾いており、海洋プレートの大陸下への沈み込み伴い、大陸側に傾きながら押し上げられた付加運動によるもんです。
【現地日本語説明板より転載しました】
==============================================================================

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 4


イメージ 3

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

↑このページのトップヘ