神社名:川之江八幡宮Ⅱ

塩見灯籠
 一柳川之江藩の廃絶後、川之江は天領となった。
 以後、明治期にかけ、上方や向かいの地との交易も盛んで多くの廻船業者により当地の物産が送り出され、瀬戸内交流の要所であった。古地図を繙(ひもと)くと、この辺りは入り江をなし船溜まりであった。
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土佐灯籠
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一柳陣屋門 登録有形文化財(建造物)平成12年09月26日登録
 寛永年間に川之江を治めた一柳直家が建設した陣屋の表門と伝え、直家没後に天領となり、川之江八幡神社に移されたと考えられる。入母屋造、総2階建で1階左を門構え右を詰所とし2階は2室にわける。地方の小藩における陣屋建築の一端を示す遺構。≪文化遺産オンラインさまより≫
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こんぴら街道
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多くの句碑がある
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祭 神:足仲彦天皇・品陀和氣命・息長足姫命
創 建:
創 基:
社 格:県社
住 所:愛媛県四国中央市川之江町2527

電 話:087-847-2001
由 緒
 推古天皇の6年に豊前国宇佐本宮より御分霊を勧請したという。
 当初は川之江市金生町山田井霧山に鎮座、その後、後冷泉天皇康平年間に伊予守源頼義が川之江町畠山に社殿を造営し、治暦元年8月13日に奉還した。
 予章記による「頼義お務めの時、彼の命に任じ、八ヶ所の八幡宮を建立す」の伊予国内八ヶ所八幡社の一社である。奉還の際、頼義より幣帛、神饌、大刀、弓箭等の献納あったが、正保3年12月社殿焼失し、旧記、宝物等の大半を失った。畠山は水利の便が悪く、将来を顧慮して慶安元年現在の社地に社殿を新築した。その際、足仲彦天皇、気長足姫命を勧請合祀し、川之江城主川上但馬守より畑三百石、土佐山内公より石燈籠の寄進あり、一柳美作守も篤く崇敬したが、嘉永4年に再び社殿焼失し、村民協力し辛苦の末、八ヶ月を要して安政5年3月2日再興、遷座した。明治5年郷社となり、同13年11月県社に列格する。
H P:
文化財等:
駐車場:無料
撮影日:2021年10月18日
資料等:現地説明版、愛媛県神社庁HPなど、