四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 香川県小豆島町

施設名:二十四の瞳映画村 校舎遍他
700-01

700-10

700-20

700-30

700-40

700-50

700-60

700-70

700-80

700-90

700-100

700-110

700-120

700-130

700-140

管理者:一般財団法人岬の分教場保存会
住 所:香川県小豆郡小豆島町田浦

電 話:087-841-2678
開 園:1974年(二十四の瞳館)、1987年(二十四の瞳映画村)
広 さ:10000㎡
解説等:壷井栄の原作にはなかった生まれ故郷の小豆島を舞台に設定して撮影をした。分教場のイメージは旧田浦尋常小学校であるかも。
 田中裕子主演による1987年版映画『二十四の瞳』の映画撮影で使用された「岬の分教場」と、大正から昭和初期の民家、男先生の家、漁師の家、茶屋、土産物屋など14棟のオープンセットを公開している。
入館料:890円
時 間:9:00~17:00
休館日:無休
駐車場:無料
撮影日:2022年9月8日

施設名:二十四の瞳映画村
700-10

700-20

700-30

700-40

700-50

700-60

700-70

700-80

700-90

700-100

700-110


男先生の家
700-120

700-125

700-130

700-140

管理者:一般財団法人岬の分教場保存会
住 所:香川県小豆郡小豆島町田浦

電 話:087-841-2678
開 園:1974年(二十四の瞳館)、1987年(二十四の瞳映画村)
広 さ:10000㎡
解説等:壷井栄の原作にはなかった生まれ故郷の小豆島を舞台に設定して撮影をした。分教場のイメージは旧田浦尋常小学校であるかも。
 田中裕子主演による1987年版映画『二十四の瞳』の映画撮影で使用された「岬の分教場」と、大正から昭和初期の民家、男先生の家、漁師の家、茶屋、土産物屋など14棟のオープンセットを公開している。
入館料:890円
時 間:9:00~17:00
休館日:無休
駐車場:無料
撮影日:2022年9月8日
関連BLOG:旧田浦尋常小学校
次週に続く

石の島の石(草壁港緑地公衆トイレ)
設 計:中山英之建築設計事務所

700-09

700-091

700-0192

700-40

700-30

700-20

700-10
住 所:香川県小豆郡小豆島町草壁本町

電 話:
所有者:小豆島町
製作年:2016
素 材:コンクリート・石など
解説等:小豆島の花崗岩を主材料とするコンクリートで公共トイレを施行。屋内は天井から光が射して明るく、夜は室内照明が街頭の役割もかねる。

~略 歴~
1972 福岡県生まれ
1998 東京藝術大学建築学科卒業
2000 同大学院修士課程修了
2004 鹿島賞
2007 第23回吉岡賞
2007 中山英之建築設計事務所を設立
2014 東京藝術大学准教授
2016 瀬戸内国際芸術祭参加

~パブリックコレクション~

場 所:草壁港緑地
資料等:瀬戸芸2022公式ガイドブック、Wikipediaなど
駐車場:無料
撮影日:2022年9月8日
瀬戸内国際芸術祭2016参加
地 区:小豆島
作品番号:sd21

瀬戸の浜(瀬戸ビーチ)
香川県小豆郡小豆島町坂手
施設:便所、駐車場
場所:坂手港から、徒歩で15分程のところにある。海岸線が弧を描いて広がる美しい砂浜。目の前には小島が浮かんでいます。夏には海水浴場とし利用でき、水も透明感があり綺麗な浜です。
撮影日:2015年7月30日
近隣施設:岬の分教場、24の瞳映画村、太田屋食堂、ヤノベケンジ作品ビートたけし(音)×ヤノベケンジ(立体作品)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

詳しい地図で見る

オオカミの恩かえし
 昔、坂手には漁師がよっけおって(多くいて)、魚もぎょうさん漁れる漁村やったんや。瀬の倉の東、瀬戸の浜に二軒の魚問屋があって、漁師たちは夜に獲った活きのええ魚を夜明けにそこに持ってきよった。その魚をこうて(買って)家々に売ってまわる人は「ザル」と呼ばれ、ザルは天秤棒の前後に平たい籠を吊るして、問屋に魚を買い出しに来よったんや。
 ある朝、一人のザルが魚を乗せた籠をかいて(担いで)大岸(おきし)の薮の上まで来た時、一匹のオオカミが魚を欲しそうに舌なめずりをして、岩の上に座っとんやと。人のいいザルは魚を一尾、オオカミに投げてやった。オオカミは喜んで魚を咥えて山に走り去ったんやと。それから毎朝そのオオカミは岩の上でザルを待ち、ザルも毎日魚を、オオカミに投げてやった。それがザルの楽しみにもなっとたんやな。
 ある日、ザルが何時もの場所に行くとオオカミが岩の上から飛び降りて来て、着物の裾に噛み付いて放さんで、ザルを山へと引っぱっていく。「どうしたんじゃ。何時もはおとなしいのに」。そのままオオカミは山の岩穴にザルを押し入れた。ほんで、外から木の枝やシバの葉で穴を隠してどっかに行ってしもた。
 間もなく「うぉー」「うぉー」と仰山のオオカミの遠吠えが聞こえてきて、それがだんだん近づいてくる。「これは、噂に聞くオオカミの千びき連れ(大群)や。」ザルはブルブルと震えて穴の中でこんもう(小さく)なっとた。やがてオオカミの群れが通り過ぎるとあのオオカミが来て、ザルを穴から出してくれて立ち去ったそうな。
 ほんに、獣でも恩をよう知っとるもんやのう。
 THE かがわ「さぬきの昔ばなし」より転載しました。
【参考文献:読みがたり 香川のむかし話 香川県国語教育研究会編 発行:日本標準】

神社名:亀山八幡神社
主祭神:応神天皇、神功皇后、姫太神
創 建:延長四年(926)
住 所:香川県小豆郡池田町(現小豆島町池田)
由 緒:『日本書紀』によると応神天皇は即位22年9月に、行幸の旅に出た。淡路島を経て小豆島に上陸した。『日本書紀』には具体的記述はないが、小豆島には次のような伝説がある。応神天皇が最初に上陸したのは吉備ケ崎で、付近で休息した(伊喜末八幡神社)。同地より再び乗船し、沿岸を周って双子浦の潮土山(富丘山)の麓に停泊して上陸した(富丘八幡神社)。景勝地であったのでこの場で宿泊した。宿泊した場所に柏の木を植えた(宝生院の真柏)。翌朝、陸路、池田の里に向かい、途中の八幡山にて島玉神を祀った(島玉神。孔雀園跡地)。生田の森から乗船した(亀山八幡神社)。三都半島を超えて、内海水木の御荷ケ崎(鬼ケ崎)に着船した。そこから北へ向かい、奇勝といわれる神懸山(寒霞渓)に登山。そこで狩猟した。下山して馬目木台(宮山、亀甲山)に至る。再び狩猟してここに宿泊した(内海八幡神社)。翌朝、旭峠を超えて、橘港より乗船。吉備に向かおうとするが、風波のため、福田港に寄港した。突然のことだったので、田中に丸木と刈穂による行宮を建てた(福田八幡神社)。以上、主に『香川県史蹟名勝天然記念物調査報告 第3巻』に依った。
文化財等:下記に記載
近隣施設:道の駅小豆島ふるさと村、国民宿舎小豆島
撮影日:2013年8月6日
場 所:スポットノート『神社祠map/樹木map』に投稿します。  
 
 亀山八幡神社の秋祭りでは、 海から太鼓台を運び入れる「踊り込み」「押し込み」が見られます。
 「踊り込み」=船の舳先で赤と緑の服を着た、さるぼぼみたいな人が踊っているから。
 「押し込み」=海から馬場に押し入るから押し込みという。《昔、小豆島では陸道は里道しかなく、太鼓台(ちょうさ)は通れなかった。三都半島の各集落の太鼓台は船に乗せて宮入(奉納)していた。現在は「神ノ浦」だけが昔のままの姿で奉納している。》
 映画のロケ地
 二十四の瞳の大石先生はここで結婚式をあげた。12人の子供達は、先生の花嫁姿を一目見ようと、競って神社に集まった。昭和六十二年作品の一コマ。
 亀山八幡宮の文化財 
 亀山八幡宮棟札 小豆島町指定有形文化財(美術工芸品) 指定年月日:2012年4月24日
 棟札には、南北朝時代の応安4年(1371)、別当権大僧都宥呼、願主平井兵左衛門尉、大工三木善太夫、惣太夫、市右衛門とあり、庄内安全諸人繁昌のため八幡宮一宇を造営したと記されている。別当は、八幡宮の神宮寺である延命院八幡寺の住職で、この神社を主管した人である。願主の平井兵左衛門尉は、後の池田村庄屋平井兵左衛門の祖先にあたる。ほかに慶長16年(1611)、寛文10年(1670)、文政13年(1830)、天保11年(1840)の4札についても、既に指定されている内海八幡神社棟札と同じく古いものである。  以上の文は、文化遺産オンラインより転載しました。
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
イメージ 6
 
イメージ 7
 
 池田の桟敷 重要有形民俗文化財(建造物)昭和五十一年八月二十三日指定
 桟敷の規模は幅64m、6~8段の階段から出来ていて高さ15mもある。野外劇場を思わせる大桟敷です。安政二年以前の築構と推定されている。八幡宮の秋の例大祭には神輿、太鼓台の大練りを見物する為に築かれたもの。  後日記事にします。
イメージ 8
 
 亀山八幡神社のシンパク 小豆島町指定文化財天然記念物 香川県保存木(平成八年指定)
このシンパクは、池田郷の人々にとって古くから、神木として信仰の対象になっており、胸高幹囲4.8m、樹高19mで、やや西方へ八十度の傾きで斜上した巨樹であり、推定樹齢は四百年以上である。
 枝張りは、東西へ10m、南北へ6mと開張し、まとまった樹冠をなしている。ただし、約10mの高さあたりから上部は往年の落雷のためか枝張りが少なく、裸木風になっている。
 全体としての樹勢はよく、島内では国の特別天然記念物の「宝生院のシンパク」は別としても、内海町に内海八幡宮、真光寺、また、菅家にみられるシンパク、および、土庄町黒岩の円満寺のシンパクと同格と見られる巨樹である。
 池田町教育委員会(現小豆島町) 昭和五十八年四月 説明板より転載しました。
イメージ 9

↑このページのトップヘ