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カテゴリ: 愛媛県松山市

一草庵

住 所:愛媛県松山市御幸一丁目435番地1

公園分類:
面 積:578.93平方メートル
入園料:無料
休 日:無休(一草庵内部公開は土日祝祭日)
電 話:
指定管理者:松山市教育委員会
開 園:平成21年4月4日
H P:NPO法人まつやま山頭火倶楽部、 http://santokaclub.blogspot.com/p/blog-page_02.html 松山市HP、https://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisetsu/bunka/issouan.html
資 料:上記HP参照
駐車場:不明 (護国神社駐車場へ)
撮影日:2020年10月21日


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四国八十八ヵ所 第四十六番札所
寺院名:医王山・養珠院・浄瑠璃寺Ⅱ
本 尊:抑止如来(薬師如来) 伝行基菩薩
宗 派:真言宗豊山派
開 基:行基菩薩
創 建:和銅元年(708)
住 所:愛媛県松山市浄瑠璃町282
電 話:089-963-0279
由 緒:Wikipedia参照
解 説
 【寺号は本尊を安置する御堂。院号は僧衆が住む場所。山号は仏菩薩の威光を現す。】
感 想:
文化財:重文をはじめ多数有り
資 料:Wikipedia
撮影日:2017年5月11日
前記事:2011年11月22日
関連記事:松山市指定天然記念物「イブキビャクシン」
駐車場:無料
便 所:納経所
近隣施設:大法山・文殊院

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名 称:浄瑠璃寺のイブキ
樹木名:伊吹 ヒノキ科ビャクシン属
指定区分:松山市指定天然記念物 指定日:昭和43年10月25日
調査日:
樹 齢:約600年
樹 高:約20.0m
胸高周囲:4.8m
枝張り:
解 説:別名イブキビャクシンとよばれ多くの品種・変種がある。福島県以南の海岸地方や島に多く自生しており、園芸品種が多く、公園や庭園に植栽されることも多い。
場 所:浄瑠璃寺境内参道脇
住 所:愛媛県松山市浄瑠璃町
資 料:現地説明板、松山市サイトなど
撮影日:2017年5月11日
関連記事:浄瑠璃寺

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寺 名:好成山・善応寺
本 尊:釋迦如来
開 基:河野通盛
開 祖:正堂士顕
宗 派:臨済宗東福寺派
札 所:風早西国三十三ヶ所第十四番
住 所:愛媛県松山市善応寺甲428
マピオンマップ↓↓↓↓

電 話:
由 緒
 河野通盛(1364年没)の開基で、通有の末子に生まれ、河野総領家を継いだが、元寇の乱(1331)失脚し、鎌倉建長寺の「南山士雲」をたより、旧勢をを保つことができた。この時、「南山士雲」の恩に報いるため、河野郷土居館を京都東福寺に擬して寺院に改築し、建武二年(1335)に河野一族の氏寺として好成山善応寺を創営した。
 通盛(法名善恵)は、「南山士雲」の法嗣正堂士顕を東予市長福寺から迎え開祖としたが、正堂法嗣の寺として永代住持(住職)を定めた。この後、貞治三年(1364)には、諸山の列(官寺)に加えられた。
 古文書によれば、寺域を「東限鳩谷之透、南限揚岐庵山過山峰之透、西限娑婆山の透、北限土居山尾新宮山」とし、現在の善応寺部落全域にわたり、その面積は六十町歩に及ぶ広大なものであった。
 七堂(仏殿・法堂・僧堂・方丈・庫司・浴室)十三塔頭(通玄庵・萬松院・千手院・養寿院・大崇院・宗玄院・林少院・萬年院・一心庵・見寿庵・明智庵・霊雲庵)を有する大禅刹であった。
 その後、善応寺は代々河野氏の帰依を受け盛観を呈したが、天正十三年(1585)七月河野氏の没落と共に戦火に焼失荒廃した。
 江戸時代中期、善応寺十七世の黙翁士轍によって、将軍「徳川吉宗」の厚遇を受け、明智庵のあとに現在の善応寺を再建した。
解 説
 河野氏は、伊予国第一の大族で、風早郡(現松山市北条)河野郷土居より起こる。
 中世伊予を代表する武士であった河野氏は、河野郷を中心として発展するが、確かな記録では、平安時代の末期から地方豪族として、広く世に知られるようになった。特に源平合戦で活躍した「河野通信」が、確固不動の地位を獲得し、瀬戸内海に面する伊予の実権を掌握した。
 瀬戸内海に突出する高縄半島にある河野氏発祥の地、河野氏の本拠である河野郷土居は、中世伊予の軍事・経済・文化の中心地で、日本の政治と深く係わりあって、波瀾にみちた歴史を生んだところである。
文化財:
資 料:現地石碑など、
撮影日:2017年6月28日

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地蔵堂
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観音堂
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城 名:湯築城(湯月城)
住 所:愛媛県松山市道後町
マピオンマップ↓↓↓↓
城 郭:梯郭式平山城
天 守:なし
築城主:河野氏
築城年:建武2年(1335)頃
主な改修者:
主な城主:河野氏、小早川氏、福島氏
廃 城:天正15年(1587)
遺 構:土塁、水堀、郭、
文化財:史跡=平成14年(2002)9月20日指定、日本100名城(80番)=平成18年(2006)4月6日選定、
 
資料等:Wikipedia&パンフレットなど
撮影日:2017年5月11日
近隣施設:道後温泉、松山城、子規記念博物館(有料)、

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内堀
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再現武家屋敷
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排水溝
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外堀土塁
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内堀
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遮蔽土塁
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石造湯釜
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