四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 愛媛県今治市

よしうみバラ公園 

愛媛県今治市 吉海町福田1292
 世界各地のバラ400種3,500株が園内花壇に植栽され、5月中旬から12月末まで美しいバラが楽しめます。毎年バラの見ごろを迎える時期にはバラ祭りが開催されています。
 ただ、日陰が無いので、暑さ対策は必須。帽子・日傘は必ず。
入園料:無料 年中24時間見学可能(夜間のライトアップは有りません。)
問い合わせ:今治市吉海支所 産業建設課 0897-84-2111
近隣施設:
資料等:HPより
撮影日:2015年5月26日

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 赤煉瓦灯明台 
 今治市波方町大字波方字宮ノ下甲1616番地(玉生八幡神社境内) 
 波方の灯明台は煉瓦造で、従来の木造や石造とは趣を異にします。高さは土台を含めて5.7m 明治四十一年(1908)生まれの古老が物心ついた時には、すでに建っていました。
 建てた目的は、波方の船主が金刀比羅社の常夜灯として捧げたようです。しかし昭和初年の海図に描かれるなど、実際に灯台の役目を担った時期もありました。全国に残された灯明台で煉瓦造の事例はなく、常夜灯が1基、埼玉県内にあるだけです

資料等:WEB今治歴史探訪&現地説明板
撮影日:2014年6月19日

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 玉生八幡神社
 639年舒明天皇が伊予国へ下向された時、波方沖に御停泊船になった。その夜、沖の潮が二又に流れ、その間に光り輝くものがあったので、小舟を行かせて調べてみると、箱の中に三つの玉があった。
 「これは不思議な住吉大神(海上の守護神)である。この里の産土神としてお祀りさなさい。」とお言葉があり、玉生宮を創祀した。
 後に清和天皇の貞観元年(859)大分県の宇佐八幡大神を山城国(京都)男山へお移しになられる途中、当地に碇泊したとき、玉生宮より五色の異様な雲気が立ち上がら、同時に船中からも光り輝くものがあったので、社壇を築き分霊を祀った。その後、宇多天皇の寛平八年(896)に両社を併せて玉生八幡宮とした。
 源頼義を始め歴代の伊予守等の武将の信仰が厚く、特に海運業者の信仰を集めている。
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波方の港
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名  称:波止浜燈明台
住  所:愛媛県今治市波止浜四丁目
作 者:今治城下 石工 木村 忠右衛門
周辺施設:
資 料:今治歴史探訪WEB&現地説明版
撮影日:2014年6月9日撮影
 灯明台は「和式灯台」とも呼ばれ、明治になって洋式灯台が築かれるまでは、灯台の役目を果たしていました。幕末のころ、全国には100基余りあったと伝えられ、波止浜港に残る灯明台もその一つです。
 波止浜のものは、花崗岩の切石を積み重ねた石造灯明台で、嘉永二(1849)年の築造です。塔身部には「金毘羅大権現」の文字が刻まれ、航海安全を神に託す、時の海事関係者の思いが込められています。
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 奥深い入江が箱のような形をした波止浜湾は、筥潟湾と呼ばれ、古くから帆船の重要な風待ち、潮待ちの天然の良港で、戦国時代は来島水軍の船溜りとして重要視され、天和三年(1683)以降の塩田開発による町家の増加、塩買船、塩田資材を供給する船の出入りが多くなり、港町とし発展し、伊予の小長崎といわれるほどに成長した。
 元禄十六年(1703)には港の入口に出入船舶を監督する船番所が置かれ、船舶と他国者の出入りを厳しく取り締り、船税の徴収にもあたった。今もその付近を御番所前という。(現在地より北の方、ドックの中あたり)
 この大灯明台は嘉永二年(1849)に御番所前に建てらたもので、当時の波止浜の人々の意気を示している。明治三十五年(1902)に現在地の移された。
 南面に嘉永二己酉十月吉日、海上安全と彫られ、東面には金毘羅大権現と彫られている。
 この前から来島、小島、馬島への渡船が発着している。

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YahooBLOGを初めて5年が過ぎました。延約16万の方にご訪問頂き嬉しく思っています。一週間に一度の更新ですが、今後も続けていくつもりです。宜しくお願いします。

糸山公園 愛媛県今治市小浦町2丁目 えひめの感動の地20選(来島海峡)
 来島海峡は東の鳴門海峡、西の関門海峡と共に激しく落差のある急潮流起きる海峡です。そのため、海の難所として昔から恐れられていました。この流れを知り尽くした水軍が活躍したこともうなずけます。水軍は海賊衆とも言われるけれど、この海域を有料で案内していたガイド的な役割も果たしていたようです。
 明治時代から昭和50年代には大きな赤灯台が来島海峡の海の安全を見守っていましたが、大きな船が航行するようになるとより広い航路が必要となり、灯台を撤去し海底を深くすることになりました。今その灯台は唐子浜に移築されて当時のまま保存されています。
 海峡と橋、船が織り成す動きのある風景は季節や時間によっても様々に変化します。その雄大さ、美しさは他では類を見ることができません。今治市第一の観光絶景スポットです。


 来島海峡大橋に関する資料が展示されています。及びお土産物などの販売 屋外では、高階城太郎氏作のブロンズモニュメント「海へ―」、野口雨情「狂い汐なりや来島瀬戸の汐もぜひなや埋もまく」詩碑がある。

資 料:今治地方観光協会・しまなみ海道今治探訪様WEBサイトより転載しました。
撮影日:2014年6月16日
近隣施設:サンライズ糸山波方公園大角海浜公園、波方八幡宮

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対岸 大島 来島大橋
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野口雨情詩碑
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野間馬ハイランド
愛媛県今治市野間甲8 0898-32-8155
入園料:無料
休園日:毎週火曜日(祝日は翌日)・年末年始
遊 具:有り

<><>野間馬
野間馬は江戸時代この乃万地方でつくられた日本で一番小型の馬です。性格はおとなしくてかしこく力もちです。女の人や子供たちにも容易にあつかえるので、愛媛県の山間部や瀬戸の島々の農家で数多く飼われていました。ところが、明治の中ころから農用馬も軍馬にも使える大型馬にするための政策がとられ、野間馬はだんだん減ってゆきました。太平洋戦争後は馬に代わって農機具が普及し物を運ぶにも自動車が使われるようになり、やがて野間馬はほとんど目にふれることがなくなりました。まさに、絶滅寸前のこの馬を救ったのが、日本の伝統文化を大切にしょうとこころがけている松山の長岡悟先生でした。先生は、この可愛い野間馬を後世に残しておこうと考えられ、昭和三十四年、愛媛県をくまなく歩いて野間馬を集められました。それから十数年苦労して繁殖に成功された後、昭和五十三年に野間馬のふるさとである今治市へこの貴重な馬四頭を寄贈されました。今治市ではさっそく野間馬保存会をつくり、地域のみんなで力を合わせて保存育成に取り組んできました。
 こうして野間馬は絶滅の危機からまぬがれ今や郷土の文化財として、また観光資源としても注目されています。野間馬ハイランドが整備されたことを記念して碑を建て、長岡悟先生をはじめ関係者のみなさんに深く感謝します。
 現地石碑より転載しました。

<><>野間馬の特徴
体高は120cm以下
体に比べて頭が大きい
たてがみが多い
ずん胴な体型
尻は短く斜尻
蹄が固く蹄鉄がなくても大丈夫!
日本の在来馬のなかでも一番小さい
野間馬は、昭和六十年十月に日本馬事協会より全国で八番目の日本在来馬に認定され、昭和63年4月には今治市の指定文化財に指定されています。
乗馬できます。(有料)
馬には名前が付いています。

撮影日:2014年6月19日

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