四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 愛媛県今治市

ダム名:台(うてな)ダム
ダム湖名:うてな湖
河川名:台本川
所在地:今治市大三島町宮浦
堰堤長:225m
堰堤高:42.3m
総貯水量:1790千立方m
目 的:洪水調節・不特定利水・上水道(大三島と隣の伯方島の生活用水の供給源になっている。)
形 式:重力式コンクリート
ダム事業者:愛媛県
着手/竣工:/1991年竣工
四国堰堤ダム88箇所別院堰堤札所第2番
近隣施設:大山祇神社
資 料:ダム便覧などから参照しました。
撮影日:2015年5月26日
ダムカード:VOL 1.0(2014.06)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

詳しい地図で見る

ダム湖名:上浦ダム
河川名:大三島本川水系上浦川
所在地:愛媛県今治市上浦町大字井の口
堰堤長:161m
堰堤高:31m
総貯水量:155千立方m
目 的:灌漑
形 式:アース
ダム事業者:愛媛県
着手/竣工:1973年/1978年
四国堰堤ダム88箇所別院堰堤札所第1番
近隣施設:大山祇神社
資 料:ダム便覧などから参照しました。
撮影日:2015年5月26日

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

詳しい地図で見る

よしうみバラ公園 

愛媛県今治市 吉海町福田1292
 世界各地のバラ400種3,500株が園内花壇に植栽され、5月中旬から12月末まで美しいバラが楽しめます。毎年バラの見ごろを迎える時期にはバラ祭りが開催されています。
 ただ、日陰が無いので、暑さ対策は必須。帽子・日傘は必ず。
入園料:無料 年中24時間見学可能(夜間のライトアップは有りません。)
問い合わせ:今治市吉海支所 産業建設課 0897-84-2111
近隣施設:
資料等:HPより
撮影日:2015年5月26日

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

詳しい地図で見る

 赤煉瓦灯明台 
 今治市波方町大字波方字宮ノ下甲1616番地(玉生八幡神社境内) 
 波方の灯明台は煉瓦造で、従来の木造や石造とは趣を異にします。高さは土台を含めて5.7m 明治四十一年(1908)生まれの古老が物心ついた時には、すでに建っていました。
 建てた目的は、波方の船主が金刀比羅社の常夜灯として捧げたようです。しかし昭和初年の海図に描かれるなど、実際に灯台の役目を担った時期もありました。全国に残された灯明台で煉瓦造の事例はなく、常夜灯が1基、埼玉県内にあるだけです

資料等:WEB今治歴史探訪&現地説明板
撮影日:2014年6月19日

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

 玉生八幡神社
 639年舒明天皇が伊予国へ下向された時、波方沖に御停泊船になった。その夜、沖の潮が二又に流れ、その間に光り輝くものがあったので、小舟を行かせて調べてみると、箱の中に三つの玉があった。
 「これは不思議な住吉大神(海上の守護神)である。この里の産土神としてお祀りさなさい。」とお言葉があり、玉生宮を創祀した。
 後に清和天皇の貞観元年(859)大分県の宇佐八幡大神を山城国(京都)男山へお移しになられる途中、当地に碇泊したとき、玉生宮より五色の異様な雲気が立ち上がら、同時に船中からも光り輝くものがあったので、社壇を築き分霊を祀った。その後、宇多天皇の寛平八年(896)に両社を併せて玉生八幡宮とした。
 源頼義を始め歴代の伊予守等の武将の信仰が厚く、特に海運業者の信仰を集めている。
イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

波方の港
イメージ 10

詳しい地図で見る

名  称:波止浜燈明台
住  所:愛媛県今治市波止浜四丁目
作 者:今治城下 石工 木村 忠右衛門
周辺施設:
資 料:今治歴史探訪WEB&現地説明版
撮影日:2014年6月9日撮影
 灯明台は「和式灯台」とも呼ばれ、明治になって洋式灯台が築かれるまでは、灯台の役目を果たしていました。幕末のころ、全国には100基余りあったと伝えられ、波止浜港に残る灯明台もその一つです。
 波止浜のものは、花崗岩の切石を積み重ねた石造灯明台で、嘉永二(1849)年の築造です。塔身部には「金毘羅大権現」の文字が刻まれ、航海安全を神に託す、時の海事関係者の思いが込められています。
----------------------------------------------------------------------
 奥深い入江が箱のような形をした波止浜湾は、筥潟湾と呼ばれ、古くから帆船の重要な風待ち、潮待ちの天然の良港で、戦国時代は来島水軍の船溜りとして重要視され、天和三年(1683)以降の塩田開発による町家の増加、塩買船、塩田資材を供給する船の出入りが多くなり、港町とし発展し、伊予の小長崎といわれるほどに成長した。
 元禄十六年(1703)には港の入口に出入船舶を監督する船番所が置かれ、船舶と他国者の出入りを厳しく取り締り、船税の徴収にもあたった。今もその付近を御番所前という。(現在地より北の方、ドックの中あたり)
 この大灯明台は嘉永二年(1849)に御番所前に建てらたもので、当時の波止浜の人々の意気を示している。明治三十五年(1902)に現在地の移された。
 南面に嘉永二己酉十月吉日、海上安全と彫られ、東面には金毘羅大権現と彫られている。
 この前から来島、小島、馬島への渡船が発着している。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

詳しい地図で見る
YahooBLOGを初めて5年が過ぎました。延約16万の方にご訪問頂き嬉しく思っています。一週間に一度の更新ですが、今後も続けていくつもりです。宜しくお願いします。

↑このページのトップヘ