四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 高知県四万十市

道の駅『よって西土佐』
住 所:高知県四万十市西土佐江川崎2410番地3
マピオンマップ↓↓↓↓

電 話:0880-52-1398
道 路:国道441号
運 営:四万十市
開 設:2016年4月10日
施 設:1階の飲食スペース、2階のコミュニティスペース・テラス(飲食可)07:30~18:00  水々しい市場、西土佐食堂・鮎市場・ストローベイルSANKANYAは12/31~1/2休業) 詳細は、下記アドレス参照。
解 説:
資 料:Wikipedia、上記HP、など
撮影日:2017年8月24日

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2階スペース
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【中村城(為松城)】
 中村城(なかむらじょう)は、高知県四万十市(旧中村市)丸の内にある中世から近世にかけての連郭式平山城跡。主な城主は為松氏、一条氏、山内氏
 城は西に四万十川、東に後川が流れ、中村平野を一望出来る丘陵に築城され、面積はおよそ10,586平方mあり、東城,為松城,中の森,御城,今城の五郡城を統合したもので、平野部を東西に通ずる陸路の要を押さえ南北と西部に至る河川により攻防いずれにも臨機応変の戦いに備えることが出来た。
 遺構は石垣が残っている。石垣は昭和40年(1965)年に発見されたもので、中村藩二万石2代藩主山内政豊時代の慶長18年(1613)に修復されたものであると考えられている。現在は「為松公園」になっており、二の丸跡に模擬天守(三層六階)の四万十市立郷土資料館がある。

 応仁の乱を避けた一条教房が、荘園であった中村に下向しそのまま戦国大名として土着し、元々この地にいた豪族の為松氏が家老として取り立てられ、その為松氏により築城されたのが始まりと考えられている。
 一条兼定の時、兼定は素行が悪く家臣により豊後へ追放され、その後一条家は長宗我部元親に攻められ滅亡する。
 関ヶ原の戦い後、戦功により山内一豊に土佐一国が与えられ、山内一豊の弟康豊が入るが元和の一国一城令に伴い廃城となった。

 四万十市立郷土資料館は昭和48年に幡多市町村圏事業として「為松公園」の一條時代の山城二の丸に建設された。安土桃山時代の初期の城郭、愛知県の犬山城をモデルにしている。
 展示品は幡多(高知県西南)地域の自然(ニホンカワウソの剥製・四万十川水石・昭和南海地震写真パネル)・歴史(土佐一條家・幸徳秋水・中村山内家・樋口真吉・間崎滄浪=哲馬)・芸術・文化(遺跡からの出土品)等の郷土の財産の数多くを保管、展示している。(有料大人\310)
 六階の展望台(天守閣)からは旧中村市が見渡せる。
 電話 0880-35-4096
 以上の文は、Wikipedia&郷土資料館パンフレットなどから転載しました。
 写真は、2011年6月14日撮影
 場所は、ワイワイマップにスポット投稿します。

 中村城祉
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 模擬城(郷土資料館)
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 石垣
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 階段
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 展望台からの眺め
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 館内の展示物
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ワイワイマップの見方
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【安並水車の里(四ヶ村溝の水車)】
 安並水車の里は高知県四万十市安並の兼山溝に水車を集め観光用に設置しているようです。現在は、観光用だけに水車を回しているようです。水車を動力として使われている様子はありません。観光用としてでも何かの用途に使っていると感動が大きかったのですが・・・。コンクリートの溝ととアスファルトの道で雑草も無く完成され尽くされた観光地。近在の人たちの管理による水車の維持とアジサイの手入れ御苦労さまです。感謝です。
 東屋・便所・駐車場あり

 安並水車の里が平成十四年六月に完成しました。高知県四万十市(旧中村市)
 安並の田園地帯の中にのんびりと水車が十八基(今は十六基)一年を通して回るようになりました。見学路も大型バスが入れ、車がすれ違いできるようになりました。駐車場、休憩できるあづま屋、兼山溝についての説明板もそろい、水路わきには春野のあじさい街道をこえるあじさいと秋の花の野かんぞうが彩りをそえいに関連づけて楽しめるようにする一方、野生と水生の花を一年中観賞できるようにしようとするものです。広報なかむら(平成十四年八月号) 中村市長 澤田五十六 市長室こぼれ話より抜粋しました。

 <><>四ヶ村溝の水車
 四ヶ村溝は、藩政時代、土佐藩奉行の野中兼山により、四万十川の支流後川の麻生に分水目的の井堰(長さ160m幅11m)を設け、秋田・安並・佐岡・古津賀の四ヶ村を灌漑するために作られたものです。
この溝から水田に水を汲み上げるため数多くの水車が設置され、その豊かな風情は、「四ヶ村溝の水車」の愛称で親しまれました。
そして大きな役割を終えた今も受け継がれ、ここに生きた人々の力強い息吹を感じます。現地案内板より転載しました。

 <><>野中兼山(のなかけんざん)
 1615~1663年(元和元年~寛文三年)初代土佐藩主山内一豊の甥の子にあたり、1636年(寛永13年)、二十一歳で奉行職に就いた。その後1663年(寛文3年)まで27年間にわたって、藩の執政となり、土佐藩主山内氏の藩政確立に身を賭して尽力した。新田開発や土木事業など大きな功績を残しているが、宿毛の河戸堰、大月柏島の石堤などもよく知られている。現地案内板より転載しました。

 写真は、2011年6月14日撮影
 場所は、ワイワイマップにスポット投稿します。

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 中村城祉 四万十市立郷土資料館
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