四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 香川県観音寺市

大野原八幡宮前常夜燈
街 道:伊予・土佐道
場 所:国道377号大野原町大鞘交差点
住 所:香川県観音寺市大野原町大野原
マピオンマップ
由緒等
種 類:石常夜燈
サイズ:高さ3.00m
基 壇:後付け
基 礎:三段
台 石:右側=講中 左側=氏子中
 竿 :正面=正八幡宮 右側=右 こんひらみち 左側=寛政庚申十年九月吉日 裏面=金毘羅大権現
火 袋:四面木格子付
中 台:
 笠 :
宝 珠:
願 主:
石 工:
素 材:
解説等
並んで大鞘講中金毘羅宮納め札塔が建っている。大正六年四月
交差点向かいに、大鞘講中常夜燈(天保十一年)が一基建っている。 笠に何故か穴が二つ開いている
【大鞘=この地区の名前、交差点名が大鞘交差点】
資料等:近世前com香川など http://www.kinsei-izen.com/area_data/36_Kagawa.html
撮影日:2011年1月19日
近隣施設:大野原中央公園大野原八幡宮
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大鞘常夜燈
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室本漁港
住 所:香川県観音寺市室本町
マピオンマップ↓↓↓↓
管理者:観音寺市
解 説:
 本港は、古くから江浦山のふもとの船泊りとして利用されてきており、江戸時代には丸亀藩の年貢米の積出し港として栄えました。
沿 革:
 既に15世紀には「室本惣浦」と見え、仁尾・観音寺と共に港町として栄えていたようである。また中世から麩の生産が盛んであり、近世には丸亀藩から専売が認められていた。麩生産は現在(2005年現在)でも行われている。
 漁港最奥部(南端)の内港が埋め立てられているため、全体の構成がやや不鮮明であるが、埋め立て前の空中写真を見ると、その状況がよく分かる。九十九山北麓から張り出す砂堆の背後(東側)に小規模な船溜まりが2箇所あり、内港を形成していた。この内港の構築時期は明確ではないが、自然地形に大きく依存した立地であること、また室本集落を貫く街路が内港を起点とすることなどから、近世まで遡ることは確実であろう。その外側(北側)に大規模に造成されたのが、現在の室本漁港の主要部(外港)である。
 外港の西側を画する2号防波堤は、昭和7年度から昭和10年度にかけて構築された。また外港の東側から北側を区画する第3号防波堤は、昭和8年度から昭和11年度に構築され、昭和10年前後に外港の骨格が出来上がった。外港の物揚場に面に建ち並ぶ倉庫群も、昭和初期の建築であろう。
 昭和29年度には、外港よりもさらに沖側に1号防波堤が構築され、以後、周辺の埋め立ても進み現在に至っている。
施 設:
 旧内港の状況は現在では全く分からず、外港の2・3号防波堤が比較的良好に遺存している。
2号防波堤
 現在の延長は42.0mであるが、周囲の埋め立て前は砂堆先端から延びており、基部の護岸も含めた当初の延長は130.0mを測る。
 石積みは、砂岩割石の落とし積みないし乱積みが主体であり、先端に近い箇所の上部は補修とみられる花崗岩谷積みである。
 先端側約90mは、防波堤の内側がテラスを伴う2段構成となっており、上段部には石室状の小スペースに花崗岩製の係船石柱が並ぶ。
3号防波堤
 現在の延長が62.0mで、埋め立てられた箇所を含めると108.0mを測る。幅は天端で2.30m、基底部で9.65m、高さ4.7mを測る。
 外側の法面から先端部にかけては、0.5~1.0m大の砂岩・安山岩の割石や自然礫による落とし積みで構成されており、勾配はかなり緩い。これに対して内側法面は砂岩間知石による谷積みであり、勾配はほぼ垂直に近い。内側は幅の狭いテラスを伴う2段構成であり、下段は防波堤本体の腰巻き石積みとして構築されている。これは近代の塩田堤防と同じ構築方法であり、下段構築後に上段を造る箕浦漁港外港防波堤とは明確に異なる。
 係船石柱は、①粗く加工された方柱形、②表面を丁寧に仕上げた隅丸方柱形、③表面を丁寧に仕上げたT字形柱頭の円柱、の3種類があり、いずれも花崗岩製である。①は内側上段の石室状の小スペース内、②は先端部上面、③は基部上面にそれぞれ設置されている。
まとめ:
 外港の3号防波堤が良行に遺存するが、その特徴として、①地場の石材で谷積みを採用すること、②2段構成の内側下段を塩田堤防と共通した腰巻き石積みとして構築すること、③石室状の小空間に係船石柱を設置すること、の3点典型的に表れていることが挙げられる。特徴①・②は、曽保漁港南防波堤(新)でも確認でき、昭和10年代頃における地域色のある石造り防波堤の仕様を示している。 
文化財:香川県の近代化遺産(石造り防波堤)
資料等:香川県の近代化遺産(2005年3月)、WEBより、
撮影日:2018年1月31日
近隣施設:観音寺琴弾八幡神社伽藍寺

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観音寺市ちょうさ会館
住 所:観音寺市豊浜町姫浜982-1 
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電 話:0875-52-5500
運 営:観音寺市
開 所:平成17年
開館時間:午前9時30分~午後5時00分(入場受付 16時30分まで)
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝祭日の場合は翌日が休館) 年末年始
入場料:有料
解説等:観音寺では、ちょうさ(太鼓台)が100台以上もあるようです。豊浜八幡神社、琴弾八幡神社、大野原八幡神社、稲積神社(春祭り)、などが有名ですが、中でも豊浜は20数台が一同に集まってかき上げが勇壮な一宮神社(最終日)が凄いとしか言いようのない祭りのようです。今年は10月12・13.14日です。宮入りを待つ太鼓台が一列に並んでいるのも一見の値打ちがあるようです。
駐車場:無料
資料等:上記HP、
撮影日:2018年1月31日

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船席
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法被は全太鼓台のを展示
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雲板の彫刻
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八つ房・隅房・四つ房・金縄
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【五郷ダム】
 ダム名:五郷ダム
 ダム湖名:
 川名:柞田川(くにたがわ)水系前田川(まえだがわ)
 住所:香川県観音寺市大野原町五郷
 堰堤長:132.0 m
 堰堤高:50.5 m
 湛水面積:
 目的:洪水調整
 形式:重力式コンクリート
 ダム事業者:香川県
 竣工:昭和39年(1964)完成
 周辺施設:重要文化財の豊稔池・下流には井関池(躑躅)・雲辺寺・萩原寺

 ダム下流域には、五郷渓温泉(ヘルスセンター)があり、テレビコマーシャル『かりばや焼』が数多く流れ、多くの県民が利用した施設があったが、バブルの崩壊でここも例外なく終了しました。(現在は更地になっています。)
 上流の有木地区は平家伝説が残っています。
 資料:Wikipedia&香川県HPなどから参照しました。
 写真撮影日:2012年5月14日
 場所:ワイワイマップ『池・ダム湖のmap 』にスポット投稿します。

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【三部神社と阿弥陀堂】
三部神社は観音寺市大野原町五郷有木に鎮座しています。 主祭神は天津彦根命 合祀祭神は大山祇命・應神天皇・大物主神

◇有木と平有盛伝説
 五郷・有木谷は、源平屋島合戦の後、平有盛が隠れ住んでいたところだといわれています。
 小松少将有盛は、平重盛の子、清盛の孫にあたる人物で、歴史の本では、長門の壇ノ浦で自害して果てたと伝えられていますが、有木には、左衛門尉某、あるいは、有木左衛門という変名を使って、屋敷を構えていたと思われる地名やそれにまつわる物語が数多く残されている事から、長い年月この地にとどまったと信じられています。
 それを証拠立てる一つが、逃げ延びる際に携えてきたと伝えられる阿弥陀如来座像、名剣小烏丸、陣太鼓などの品々です。
 地元では「ありもりさん」と呼ばれていて、「阿弥陀木造」「陣太鼓」「名剣小烏丸」などが残されている。
 文は香川県神社HPより転載しました。

◇阿弥陀堂
 阿弥陀如来座像=香川県指定有形文化財(彫刻)平成二年六月二十九日指定
 檜材寄木造 平安時代(十一世紀) 像高52.5㎝ 香川県教育委員会
 本体を作る各材は、ほぼ1㎝程度の薄手に巧みに刳り、体軀は、薄作りとなる。外見も相応して形姿よく整い、細目の螺髪を刻出し、頬の張り豊かに然も、引き締まった面相は優美と云うに相応しい。
 均斉のとれた体軀に、衣文は浅くおとなしいく刻みだし、いかにも藤原的な穏やかさで、その気分は肉身の表現全般に感じる。作風は中央的なものが強く、県内のこの時期の彫刻として優作の一つとすべきである。
 文は現地説明板より転載しました。
 写真は2012年5月14日撮影
 場所はワイワイマップ『源平ゆかりの地・伝説の地map』にスポット投稿します。

 阿弥陀堂内部
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 石鳥居参道
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 拝殿内部
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 本殿
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 境内
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 境内からの眺め
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 ◇けし椿
 平家一門の都落ちに伴い、平有盛は屋島より逃れて南條郡山田の郷に於いて仏門に入り、法専坊を開基せりと伝えられる。
 其折坊の傍らに「けし椿」を植えて愛したりと言う。その古木の一枝をゆずり受け挿木となし茲に移植したるものなり。阿弥陀の尊像と共に有盛の心情に思いを馳せ永く記念するものなり。昭和六十一年四月吉日。
 文は現地説明板より転載しました。
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