四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 香川県丸亀市

施設名:吉田邸住宅

700-10

700-20

700-30

700-40

700-50

700-60

700-70

700-70

700-80

700-90

700-100

700-110

700-120

700-130

700-140
住 所:香川県丸亀市本島町笠島314

電 話:090-8692-1827
文化財指定:
建築年:大正時代
改築等:
用途区分:住宅一部二階建て
残存建物:主屋・便所・蔵など
公開状況:一階と庭=有料公開(要予約)400円
休館日:
開館時間:
沿革等:江戸末期から昭和初期の伝統的なまち並みが残る笠島まち並み保存地区にあります。築100年を超える建物には塩飽大工の最後の建物。
 贅を尽くした内装の数々。美術品も数多く。写真撮影禁止作品もある。中にはレプリカも展示(本物は非公開)しています。
資料等:
H P:
駐車場:無料(笠島港) 
撮影日:2022年11月4日

幸せの鐘
700-10

700-20

700-30

700-40

住 所:香川県丸亀市本島町笠島

解説等:岬の休憩所に新しく流木などでアーチを編み中央に鐘を取り付けている。鐘は自由にならすことが出来る。瀬戸大橋も一望できる処でもある。
建設費:
H P:
資料等:
撮影日:2022年11月4日

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館・丸亀市立図書館
設 計:谷口吉生

700-10

700-20

700-22

700-23

700-25

700-30

700-40

700-50

700-70

700-80

700-90

700-100

700-110
公共建築百選:選定
住 所:香川県丸亀市浜町80番地1

電 話:
所有者:丸亀市
建築年:平成3年(1991)
素 材:コンクリート
解説等:美術館と図書館が併用されている建築物。通常火曜日が休館日。

~略 歴~
1937 東京生まれ
1960 慶應義塾大学工学部機械工学科卒業
1984 日本建築学会賞作品賞
1984 吉田五十八賞
1994 村野藤吾賞
2001 日本建築学会賞作品賞
2005 高松宮殿下記念世界文化賞 建築部門
2008 日本芸術院会員
2021 文化功労者

~コレクション~
東京国立博物館 1999
法隆寺宝物館 1999
ニューヨーク近代美術館新館 2004
香川県立東山魁夷せとうち美術館 2004 香川県坂出市

場 所:JR丸亀駅西側
資料等:公共建築百選一覧、Wikipediaなど
駐車場:有料(駅前地下駐車場)
撮影日:2022年10月11日

仁池(飯山)

700-10

700-20

700-30

700-40

700-50

700-60

取水口
700-70

余水吐け
700-80
700-90

700-100

大正以前の樋管
700-110

700-120

700-130

700-140

700-140
管理者:綾歌郡仁池土地改良区
河川名:大束川水系
住 所:香川県丸亀市飯山町上法軍寺

施 工:1648年/1649年
改 築:
堰堤長:328.0m
堰堤高:16.0m
貯水量:1502千立方m
目 的:「A」灌漑、受益面積:28.0ヘクタール
形 式:アース
解説等
 『法勲寺村史』では、綾歌町栗熊、片岡家の「仁池由緒記」から、
 抑、仁池建築歳頃先慶安元亥年六月二十八日より始めて翌二年三月二十五日まで成就と云う。且つ掛諸役人百姓惣代印名書之義は別冊帳面に委細在之者也。
 堤 根置 四八件 但 □長五十二間
 堤 東西七十間 同満水の時 水溜り波打まで畝数三十六兆余といへり
 右普請まで人足六万八千三百九十八人云う者なり。
 ・・・・世の中の事は寸善尺魔とや、ここに矢延平六といえども予期しなかった大難に逢うことになった。その仔細は、ある時佞人(ねいじん=口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)がいて矢延氏を讒し(よこし=事実をまげて人の悪口を言うこと)上聞に達した。このため、上役から「この度其の方の労により仁池を建設したというが、一体何程の用水がある」と尋ねられた。平六が「五月中旬から百日ばかりの用水がある」と答えると、「稲というものは植え付けから七十五日もすれば穂も十分に熟し刈り取りもできる。それを必要以上に溜め、藩はもとより下百姓に至るまで無用の費用をつかわせ、まことに不都合千万のことである」として、おとがめを蒙り、その上牢人を仰せつけられた。
 平六は残念に思い、自分は今日まで主君のために人民を補助し、いささか功績もあったと自負してきた。しかるに恩賞にあずかってもしかるべき所を、却っておとがめを蒙りまことに心外である。しかし、これも世のありようでしばらく閑居して然るべしと思い、阿波守様ご家中の柏曲求馬(柏回求馬、柏木求馬の書あり)という者を頼り阿波国へ逗留した。その逗留中、つれづれの四方山ばなしの末、我が身の不幸せの次第を物語るうち、元馬はいかにも理不尽な話であると驚き、家老の蜂須賀駿河殿に申し上げたところ、左様な大慮ある者をこのまま放置することはできないとし、更に阿波藩主の上聞に達し、藩主も同様に思い召されて、高松藩主にお取り成しがあり、間もなくお嘆び返しになった。御役仰付けられ、なお扶持も増加になったと、記されている。
 その後は、享保のゆる替え。大正の樋管替えなどをへて昭和四十年の改修工事などを経て現在いたる。、
資 料:現地記念碑、讃岐のため池誌資料編など、

撮影日:2022年5月13日
駐車場:無し
附 則:アース式堰堤での貯水量が4番目の大きさの池。1位満濃池、2位公渕池、3位三郎池
関連BLOG:飛渡神社矢延平六

綾歌十景 三つ池
池 名:堤池
管理者:堤池土地改良区
河川名:
住 所:香川県丸亀市綾歌町栗熊

施 工:伝:享保五年(1720)
改 築
 築造後幾度の樋管改修や堤体の修築が行われた。近年では、昭和八年(1933)の東堤改修。昭和二十一年(1946)の西堤前付け工事。昭和六十二年(1987)の堤体中央部の補強工事などがある。
 近年の堤体全域にわたり老朽化が進行し漏水が極めて多くなるなど災害が発生の憂いが生じたことから堤池土地改良区では関係者相図り全面的に改修することにした。
 昭和六十三年(1988)度県営大規模ため池等整備事業の採択を受け、六年の歳月(1994)をもって茲に完成した。
  
堰堤長:280.0m
堰堤高:11.0m
貯水量:201千立方m
目 的:「A」灌漑、「F」洪水調節、
形 式:アース
解説等
 堤池は通称三合池(みついけ)とも呼ばれている。
 享保五年(1720)下流の渡池を干拓し田池とした時、その灌漑用水確保のため堤山西方の三つのため池を合わせて築造されたと伝えられている。
 以来三百年以上の永きにわたり南に高見峰山を仰ぎ北に名峰讃岐富士を控えたこの地で人々と共に生き続けてきた。四十八ヘクタールの水田を潤す農業用ため池であると同時に自然環境の保全洪水調節など重要な役割を担いつつ、その美しい水辺空間は地域住民の憩いの場となっている。
資 料:現地説明版、讃岐のため池誌資料編など
撮影日:2021年2月4日
駐車場:無し
関連ブログ:堤山水橋池土岐六蔵陣の丸古墳


700-10


700-20


700-30


700-40


700-50


700-60


700-70


700-80


700-90


700-100


700-110


700-120


700-130

↑このページのトップヘ