四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 徳島県小松島市

名  称:和田ノ鼻灯台
番 号:3418
住  所:徳島県小松島市和田島町字遠見
マピオンマップ↓↓↓↓

塗  色:白色
塔  形:円形
塔 高(地上~塔頂):9.5m
灯火標高(平均海面~灯火):14m 
灯質・灯色:等明暗白光 明3秒暗3秒
光達距離:12.5海里
明 弧:
初点灯:大正11年9月20日
改 築:昭和58年3月
資料等:海上保安庁刊行「灯台表」、
周辺施設:小松島灯台日峯神社

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9




名  称:小松島灯台
番 号:3433
住  所:徳島県小松島市中田町東山
マピオンマップ↓↓↓↓

塗  色:白色
塔  形:コンクリート造円形
塔 高(地上~塔頂):12m
灯火標高(平均海面~灯火):92m 
灯質・灯色:等明暗白光 明4秒暗4秒
光達距離:14海里
明 弧:
初点灯:昭和52年3月28日
アクセス:小松島港より根井鼻方面へ港沿いを走ると「ミニ四国八十八ヶ所」の道標が見えてきます。(写真二枚目) 14番まで行くと見上げると灯台。
資料等:海上保安庁刊行「灯台表」など、
撮影日:2017年11月1日
周辺施設:日峯神社金長神社

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 6

イメージ 5

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14





神社名:金長神社
主祭神:金長大明神
創 建:永田雅一
住 所:徳島県小松島市中田町東山
場 所:小松島市民運動場脇
マピオンマップ↓↓↓↓↓
電 話:
由 緒
 伝説上の阿波狸合戦で落命した金長狸を祀った神社である。金長の死後、染物屋の茂右衛門が金長大明神として手厚く弔い、金長は江戸時代後期の弘化5年(1848年)正一位に上った。
解 説:
文化財等:
近隣施設:日峯神社
撮影日:2017年11月1日

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11


神社名:日峯神社
主祭神:大日霊貴神
創 祀:伝・天平勝宝3年(751)
住 所:徳島県小松島市中田町
マピオンマップ↓↓↓↓↓
電 話:
由 緒
 天平勝宝二年(750)「豊野真人篠原」と云う人、阿波守に任じられ、翌年に国中に疫病が流行し、人民ことごとく苦しむ、日峯で火焚の神事を行い、祖神に病気平癒の祈願を行いました。さしも猛威の疫病も治まり、この有難い御神徳を仰いで、社を建立して奉斎されたと伝えています。
 また、第十三代成務天皇五年(135)九月、阿波、長の両国が置かれ、「事代主命」苗裔(遠い子孫)「韓脊足尼」が長国造に任じられ先例により日峯で火焚神事を国造就任のことを祖神に報告したことも伝えられております。
 後世長官の尼の一字をとり海浜を尼子浦ともよばれたとしても伝えられています。
 
解 説:阿波三峰の一つである日峰山(標高191m)の山上に鎮座する。
伝 説:
文化財等:
資料等:現地掲示物、Wikipedia
撮影日:2017年11月1日
近隣施設:金長神社、旗山恩山寺

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

 蟹は、神様のお使いと言われ伝えられており、蟹の絵馬を奉納するは、祈願又は願いが叶い願解に神前にお供えします。
 また、御神徳をうけて蟹を食さない信者は多数にのぼり、「猿蟹合戦」や「千匹蟹」の大額が画家によって奉納されています。
イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12



義経騎馬像 徳島県小松島市旗山田野と芝生の境
 旗山は当時の小島の山頂(標高20m)へ源氏の白旗を立て軍陣の標記としたことから、旗山と呼ばれています。山頂に6.7mの日本一の高さを誇る義経騎馬像立っている。
義経阿讃を征く
 新しい世の光をうけ、1185年天の時来る。嵐のなか、摂津渡辺の津(大阪市堂島)から海路二十五里、義経軍勢、中ノ湊の多奈に上陸、軍船勢合に集ふ。芝生旗山に清淨と、正々の白旗ひるがへる。
 渚にひかへし新居見城主近藤六親家、義経「ここは何処ぞ」親家「勝浦に候」と応へ天神山の手勢を率るて先陣を承る。堂々の陣、田口良達の熊山城を撃破して、北山の東海寺から、あつり越へして国府に至る。白鷺に導かれて 佳吉の吉野川を渡河し、金泉寺から阿讃の国境、松明を焚いて越ゆ。
 東讃引田の要津、馬宿の海蔵院に仮宿白鳥から朝霧ふかき田面峠、粛々と二隊に分かれる。
 熊野別当湛増率ゐる。水軍播磨灘に入る。志度 古高松 相引川 源氏が丘に 戦機熟せり 白旗と赤旗入り交ふ天下分け目の屋島合戦 三日にして 平家宗盛政権の本陣落城
旗山八幡神社参道入り口脇に石の説明板より転載しました。
文は、現地説明石板&小松島市HPなどより転載しました。
写真は、2013年6月25日撮影
場所はスポットノート『源氏・平家map/銅像や記念碑map』に投稿します。
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
イメージ 6
 
イメージ 7
 
天馬石
名馬磨墨と宇治川先陣争いをした名馬池月が石に化したといい、また馬が天からおりて化石になったという天馬石は、旗山の東北角にあって、馬の形をしており、この石を踏むと腹痛を起こすという。
イメージ 8

↑このページのトップヘ