四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 四国の神社

神社名:伊豫稲荷神社
祭 神:宇迦之御魂大神・邇々芸命・伊邪那美命・菊理比売命・大宮能売命
創 建:伝弘化年間
創 基:
社 格:県社
霊 場:新四国曼荼羅霊場第49番
住 所:愛媛県伊予市稲荷1230

電 話:089-982-1060
由 緒
 氏子地は、旧二町十ヶ村に及び、平安時代は伊豫国司の保田地、山崎保であったが、仁平三年(1153)に伏見稲荷大社の荘園となった。
 山崎荘は後に河野氏の所領となり、山崎庄と呼ばれ、神領地として稲荷村の知行が神主に安堵された。
 藩政時代は大洲領、後に分藩した新谷領となったが、氏子地は両藩にわたり、両藩主の祈祷所とされた。
 信仰上、神仏習合と呼ばれる時代には、谷上山宝寿寺末院の十二坊が参道に並び建っていたが、正保四年(1647)頃、唯一神道を主張する星右京太夫によって社僧が追い払われ十二坊は廃された。
 享和二年(1802)朝廷より、正一位の神位が勅許になり、明治の制では郷社、昭和八年に県社となた。
H P:
文化財等:
駐車場:無料
撮影日:2020年10月21日
資料等:現地説明版、Wikipediaなど、
近隣施設:

700-10

700-20

700-30

700-40

700-50

700-60

700-70

700-71

700-72

700-73

700-80

700-90

700-100

700-110

700-120

700-121

700-130

700-140

700-200



神社名:一宮神社(一宮大明神)
祭 神:大宜都比売命・天石門別八倉比売命
創 建:
創 基:
社 格:式内名神大社・県社
住 所:徳島県徳島市一宮町西丁237

電 話:
由 緒
文化財等:本殿 附棟札九枚・寛永7年(1630)=重要文化財 1993年4月20日指定
駐車場:不明
撮影日:2011年12月6日
資料等:Wikipediaなど、
近隣施設:一宮城址大日寺、 


700-08


700-09


700-10


700-20


700-21


700-40


700-50


700-57


700-58


700-59


700-60


700-70


700-80


700-90


700-100


700-110

神社名:宇志比古神社
祭 神:宇志比古尊・応神天皇・仁徳天皇・神功皇后
創 建:
創 基:
社 格:式内社・郷社
住 所:徳島県鳴門市大麻町大谷

電 話:
由 緒
 天正年間(1573~1593)に長宗我部元親の乱入により社殿、古記録、社宝を焼失したが、後に再興された。江戸時代には八幡宮と呼ばれ、明治以降に宇志比古神社を称している。
 徳島県内で現存する神社本殿では最古。
 隣にある八葉山・神宮寺・東林院が別当であった。
H P:
文化財等:本殿=重要文化財 平成12年(2000)12月4日に指定
駐車場:無料
撮影日:2019年4月5日
資料等:Wikipediaなど、

神社名:阿波神社
祭 神:土御門天皇
創 建:
創 基:
社 格:旧県社
住 所:徳島県鳴門市大麻町池谷
電 話:
由 緒
 土御門天皇は承久の乱後、承久3年(1221)に土佐国へ遷幸、貞応2年(1223)にはさらに阿波国に移り、約9年後の寛喜3年(1231)に崩御し、その行在所は守護所に近い勝瑞(現藍住町)に比定する説がある。人々は土御門天皇火葬塚の北に通称「天皇さん」と呼ぶ土御門天皇社を奉祀、阿波志には「土御門天皇廟 池谷村天皇山南麓に在り」とみえる。その後、明治8年(1875)に丸山神社と改称。 昭和15年(1940)には紀元二千六百年記念行事として、社名を阿波神社に改め、火葬塚の北東に隣接する現在地に新たに社殿を造営した。県民挙げての奉賛と勤労祀仕によって昭和18年(1943)に竣工し、本殿座祭を斎行。
 土御門天皇:Wikipedia
駐車場:無料
撮影日:2020年4月20日
関連記事:御所神社
資料等:現地説明版、Wikipediaなど、
近隣施設:東林寺、金泉寺

700-10

700-20

700-30

700-40

700-50

700-60

700-70

700-80

700-90

700-100




神社名:御所神社
祭 神:素盞鳴命・土御門上皇
創 建:
創 基:
社 格:旧村社
住 所:徳島県阿波市土成町吉田
電 話:
由 緒
 古くは吹越天皇社と云われ、吹越天王縁起によれば、天禄年間(970年頃)に高林坊盛尊が讃岐国鵜足津浦(現宇多津町)から吹越天王の尊像奉じて奉祭の霊地を探究し当地に至り、神のお告げにより岡の山に奉祭さんことを思い、領主「原田義富」、「三木景久」と相議り共に願主となり一社を造営し奉斎したものと伝えている。大正2年(1913)にに村内28社を合祀、昭和32年(1957)に御所屋敷に鎮座していた御所神社を合祀し、社名を現在の御所神社と改めた。
 元禄九年(1696)神宮寺別当「順雄」は年々宮川内谷川の洪水のため宮地の崩れるを憂い、現在の宮地に奉遷したという。
 明治の廃仏毀釈運動で神仏習合時代が終焉。明治四十一年村社に列せられ「吉田の天王さん」と近郊の人々に親しまれ、庶民の信仰篤いお社あった。
解説等
 当地は土御門上皇の終焉の地と伝えられており、その御神霊を奉っている。承久の乱の後、土御門上皇は後に阿波国に遷り、嘉禄3年(1227)に土成町吉田の御所屋敷に行宮を営まれたと伝わる。寛喜3年(1231)に37歳にしてこの地で崩御された。
文化財等:
駐車場:無料
撮影日:2019年4月5日
資料等:現地説明版、Wikipediaなど、
近隣施設:神宮寺

700-10

700-20

700-30

700-40

700-50

700-60

700-70

700-80

700-90

700-100

700-110

700-120

700-130

700-140

700-150

700-160

700-170

700-180

700-190

700-200


↑このページのトップヘ