四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 四国の神社

神社名:大山積神社
祭 神:大山積神・倉稲魂命

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創 建:住友家
創 基:元禄四年(1691)
社 格:
住 所:愛媛県新居浜市角野新田町三丁目2822番地の13
電 話:087-847-2001
由 緒
 元禄四年(1691)六月住友家により別子銅山開業の際、鎮護の神として大三島大山祇神社の御分霊を別子山村足谷の山方、縁起の端に奉祠し、明治二十六年別子山村足谷の目出度町に移転奉遷した。 
 その後別子銅山の採鉱が深部におよび採鉱の中心が別子山村から東平、端出場と移転したことに伴い、昭和二年十月新居浜市山根町内宮神社の仮遷座を行い、昭和三年五月一日現社地に正遷座祭を斉行した。 
 そもそも大神は別子銅山鎮護の神をして、全従業員の氏神として宗敬され鉱夫入坑の際には必ず坑口に奉祠せる大神を拝礼して入坑するを常とした。また、住友諸事業の発展に伴い新居浜における各事業の守護神として新居浜市磯浦町に鎮座されていた大神も昭和四年当社に遷され、現在も、住友企業の隆盛と社員の安全の守護神として宗敬せられている。
 神域は、住友企業社員の勤労奉仕(作務)によって完成されたものであり、毎年元旦に新年祭並びに別子銅山の鉱石を奉献する大鉑祭りが行われ、また五月の春季例大祭には境内相撲場において住友各社社員による奉納相撲大会が開催されていた。
 現在も年初の新年祭および5月9日の春季例大祭が在新居浜住友企業により変わることなく執り行われている
H P:
文化財等:
駐車場:無料
撮影日:2022年3月9日
資料等:現地説明版など、
関連BLOG:別子銅山記念館

神社名:春宮(とうぐう)神社と石棺
祭 神:木梨軽太子
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古墳名:東宮山古墳石棺
場 所:東宮山
住 所:愛媛県四国中央市妻鳥町2256
形 式:両袖式横穴式石室
規 模:Wikipedi参照
石 室:Wikipedi参照
羨 道:Wikipedi参照
築造期:Wikipedi参照
資料等:Wikipediなど
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創 建:
創 基:
社 格:
住 所:愛媛県四国中央市妻鳥町2256

電 話:
文化財等:陵墓参考地 史跡指定=1895(明治28)年12月04日
駐車場:無
撮影日:2022年3月10日
資料等:現地説明版など、

東宮山の由来
 木梨軽太子は第十九代允恭天皇の第一皇子であらせられ皇位を継承すべきであったが、群臣が背き御弟の穴穂皇子を擁立せんとした。そこで太子が挙兵の準備をされたが事前にあらわれ、伊予の道後へ遷され給う。途中暴風にあい御船は吹き流されて本町浜田の東宮石に漂着。浦人等畏み清淨森厳な当地に宮居を建立し、そこへ太子を遷し奉り、ここに幾年月過ぎ去れた後、悲運の生涯を閉じられた。そこで従臣・里人が相寄り東宮山の上に鄚重に葬り奉る、東宮御陵と申し上げ、なお、その側に御霊を奉斎する一社を建立して春宮神社と尊称崇び奉じることにした。

神社名:三島神社
祭 神:大山祇神
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旧本殿
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裏参道
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創 建:伝養老4年(720)
創 基:
社 格:県社
住 所:愛媛県四国中央市三島宮川1丁目1−53

電 話:0896-23-3626
由 緒
 奈良時代の初期越智玉澄、宇摩の大領に任じられ今の上柏町御所の地に新館を建て宇摩郡を経営したが年老い毎月の大三島宮参籠も出来なくなったので養老四年旧八月二十三日大三島宮より奉遷し八綱浦三津名岬加茂川上冠岡の地を選び奉斎したのが始まりであり、それよりこの地を三島と云うようになった。
H P:
文化財等:
駐車場:無料(裏参道より入る)
撮影日:2022年3月9日
資料等:現地説明版など、

神社名:川之江八幡宮Ⅱ

塩見灯籠
 一柳川之江藩の廃絶後、川之江は天領となった。
 以後、明治期にかけ、上方や向かいの地との交易も盛んで多くの廻船業者により当地の物産が送り出され、瀬戸内交流の要所であった。古地図を繙(ひもと)くと、この辺りは入り江をなし船溜まりであった。
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土佐灯籠
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一柳陣屋門 登録有形文化財(建造物)平成12年09月26日登録
 寛永年間に川之江を治めた一柳直家が建設した陣屋の表門と伝え、直家没後に天領となり、川之江八幡神社に移されたと考えられる。入母屋造、総2階建で1階左を門構え右を詰所とし2階は2室にわける。地方の小藩における陣屋建築の一端を示す遺構。≪文化遺産オンラインさまより≫
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こんぴら街道
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多くの句碑がある
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祭 神:足仲彦天皇・品陀和氣命・息長足姫命
創 建:
創 基:
社 格:県社
住 所:愛媛県四国中央市川之江町2527

電 話:087-847-2001
由 緒
 推古天皇の6年に豊前国宇佐本宮より御分霊を勧請したという。
 当初は川之江市金生町山田井霧山に鎮座、その後、後冷泉天皇康平年間に伊予守源頼義が川之江町畠山に社殿を造営し、治暦元年8月13日に奉還した。
 予章記による「頼義お務めの時、彼の命に任じ、八ヶ所の八幡宮を建立す」の伊予国内八ヶ所八幡社の一社である。奉還の際、頼義より幣帛、神饌、大刀、弓箭等の献納あったが、正保3年12月社殿焼失し、旧記、宝物等の大半を失った。畠山は水利の便が悪く、将来を顧慮して慶安元年現在の社地に社殿を新築した。その際、足仲彦天皇、気長足姫命を勧請合祀し、川之江城主川上但馬守より畑三百石、土佐山内公より石燈籠の寄進あり、一柳美作守も篤く崇敬したが、嘉永4年に再び社殿焼失し、村民協力し辛苦の末、八ヶ月を要して安政5年3月2日再興、遷座した。明治5年郷社となり、同13年11月県社に列格する。
H P:
文化財等:
駐車場:無料
撮影日:2021年10月18日
資料等:現地説明版、愛媛県神社庁HPなど、

神社名:川之江八幡宮

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大石鳥居
 当神社が畠山から現在地に遷座されたとき、大庄屋「三宅七郎右衛門家経」によって献ぜられた。一石造りの笠石が特徴となっている。規模・古さともに現存する鳥居としては全国二番目である。
 形式 明神型
 高さ=約5m 幅=約3m
 川之江市指定文化財 昭和59年3月8日指定
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祭 神:足仲彦天皇・品陀和氣命・息長足姫命
創 建:
創 基:
社 格:県社
住 所:愛媛県四国中央市川之江町2527

電 話:087-847-2001
由 緒
 推古天皇の6年に豊前国宇佐本宮より御分霊を勧請したという。
 当初は川之江市金生町山田井霧山に鎮座、その後、後冷泉天皇康平年間に伊予守源頼義が川之江町畠山に社殿を造営し、治暦元年8月13日に奉還した。
 予章記による「頼義お務めの時、彼の命に任じ、八ヶ所の八幡宮を建立す」の伊予国内八ヶ所八幡社の一社である。奉還の際、頼義より幣帛、神饌、大刀、弓箭等の献納あったが、正保3年12月社殿焼失し、旧記、宝物等の大半を失った。畠山は水利の便が悪く、将来を顧慮して慶安元年現在の社地に社殿を新築した。その際、足仲彦天皇、気長足姫命を勧請合祀し、川之江城主川上但馬守より畑三百石、土佐山内公より石燈籠の寄進あり、一柳美作守も篤く崇敬したが、嘉永4年に再び社殿焼失し、村民協力し辛苦の末、八ヶ月を要して安政5年3月2日再興、遷座した。明治5年郷社となり、同13年11月県社に列格する。
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文化財等:
駐車場:無料
撮影日:2021年10月18日
資料等:現地説明版、愛媛県神社庁HPなど、

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