四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 四国の神社

神社名:春日神社
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祭 神:
創 建:
創 基:
社 格:
住 所:徳島県阿波市阿波町下喜来南258

電 話:
由 緒
 当社は、天正年来の土佐長宗我部の兵火に遭いて悉く鳥有に帰した。
 青蓮寺の寺跡に下喜来の氏神として奉祀された神社です。
 旧社殿は江戸時代に建立されたものと考えられ爾來数百年の長年月に亘り崇神の念驚き歴代の氏子の方々に依って増改築が重ねられてまいりました。
 平成七年社殿改築落成。
H P:
文化財等:
駐車場:無
撮影日:2022年11月17日
資料等:平成改築時石碑など、

神社名:大山祇神社総本社 
祭 神:大山積神

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創 建:(伝)推古天皇2年(594)
創 基:
社 格:延喜式内社 伊予国一宮
住 所:愛媛県今治市大三島町宮浦

電 話:0897-82-0032
由 緒
H P:
文化財等:
駐車場:無料(道の駅)
撮影日:2022年12月16日
資料等:現地説明版、Wikipediaなど、
関連ブログ:参道橋隼人の舞

神社名:乳保神社
祭 神:木花咲屋姫命

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創 建:
創 基:
社 格:
住 所:徳島県板野郡上板町瀬部763

電 話:
由 緒
 元樫山神社の社名は寛政年間乳保神社と改称した。前の社殿は明治初年の造営で年を経て老朽化したため氏子の総意により五年間毎月一戸二千円の徐財を積み立てて資金とした。時あたかも今上天皇の御大典の行われた平成二年秋竣工とした。

駐車場:無料
撮影日:2022年11月17日
資料等:現地石碑など、

神社名:大山積神社
祭 神:大山積神・倉稲魂命

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創 建:住友家
創 基:元禄四年(1691)
社 格:
住 所:愛媛県新居浜市角野新田町三丁目2822番地の13
電 話:087-847-2001
由 緒
 元禄四年(1691)六月住友家により別子銅山開業の際、鎮護の神として大三島大山祇神社の御分霊を別子山村足谷の山方、縁起の端に奉祠し、明治二十六年別子山村足谷の目出度町に移転奉遷した。 
 その後別子銅山の採鉱が深部におよび採鉱の中心が別子山村から東平、端出場と移転したことに伴い、昭和二年十月新居浜市山根町内宮神社の仮遷座を行い、昭和三年五月一日現社地に正遷座祭を斉行した。 
 そもそも大神は別子銅山鎮護の神をして、全従業員の氏神として宗敬され鉱夫入坑の際には必ず坑口に奉祠せる大神を拝礼して入坑するを常とした。また、住友諸事業の発展に伴い新居浜における各事業の守護神として新居浜市磯浦町に鎮座されていた大神も昭和四年当社に遷され、現在も、住友企業の隆盛と社員の安全の守護神として宗敬せられている。
 神域は、住友企業社員の勤労奉仕(作務)によって完成されたものであり、毎年元旦に新年祭並びに別子銅山の鉱石を奉献する大鉑祭りが行われ、また五月の春季例大祭には境内相撲場において住友各社社員による奉納相撲大会が開催されていた。
 現在も年初の新年祭および5月9日の春季例大祭が在新居浜住友企業により変わることなく執り行われている
H P:
文化財等:
駐車場:無料
撮影日:2022年3月9日
資料等:現地説明版など、
関連BLOG:別子銅山記念館

神社名:春宮(とうぐう)神社と石棺
祭 神:木梨軽太子
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古墳名:東宮山古墳石棺
場 所:東宮山
住 所:愛媛県四国中央市妻鳥町2256
形 式:両袖式横穴式石室
規 模:Wikipedi参照
石 室:Wikipedi参照
羨 道:Wikipedi参照
築造期:Wikipedi参照
資料等:Wikipediなど
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創 建:
創 基:
社 格:
住 所:愛媛県四国中央市妻鳥町2256

電 話:
文化財等:陵墓参考地 史跡指定=1895(明治28)年12月04日
駐車場:無
撮影日:2022年3月10日
資料等:現地説明版など、

東宮山の由来
 木梨軽太子は第十九代允恭天皇の第一皇子であらせられ皇位を継承すべきであったが、群臣が背き御弟の穴穂皇子を擁立せんとした。そこで太子が挙兵の準備をされたが事前にあらわれ、伊予の道後へ遷され給う。途中暴風にあい御船は吹き流されて本町浜田の東宮石に漂着。浦人等畏み清淨森厳な当地に宮居を建立し、そこへ太子を遷し奉り、ここに幾年月過ぎ去れた後、悲運の生涯を閉じられた。そこで従臣・里人が相寄り東宮山の上に鄚重に葬り奉る、東宮御陵と申し上げ、なお、その側に御霊を奉斎する一社を建立して春宮神社と尊称崇び奉じることにした。

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