四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 香川の県道沿い(10)

【大坂峠越遍路道と大坂峠園地】
 義経の大坂越
 兵庫・一の谷合戦寿永三年(1184)二月七日に敗れた平家は、海路屋島に逃れた。
 翌文治元年(1185)頼朝の命を受けた義経は源家の郎党を率いて京を出発、摂津国渡辺の里(大阪)から五艘の軍船を仕立て四国に向かった。折しも春疾風(はやて)の季節、北の風が雨と共に激しく吹きすさぶ中、幸い此の追い風を受けて、十七日卯の刻(午前六時頃)阿波国多奈庄中の津(徳島県小松島市)の海岸に上陸した。それより土地の郷族近藤六親家の協力を得、彼を先導として阿讃の国境へ向け北上した。
 義経は屋島の平家方に通報される事を極度に警戒し、隊を二つに分け自らは百七十騎の本隊を率いて大坂越を、一方弁慶には八十騎の別働隊をもって一本松越を夜を撤して通過し、翌朝寅の刻(午前四時頃)引田に降り着き、海蔵院東海寺で合流、少憩の後、笹龍胆紋入の白旗をおし立て讃岐の街道を一気に屋島に向かって駆け抜けて行った。
 以上の文は、現地引田町教育委員会(現東かがわ市)の説明板より転載しました。

 引田の語源
 引田の語源は太古から「ひけた」でしょうが、それが何を意味したものでしょうか。この研究には頗る骨が折れますが、日本書紀に引田部赤猪子(ひけたのあかししこ)という人があり、古事記に引田朝臣(ひけたのあそん)、引田君(ひけたのきみ)などがみられるので、引田は一つの部族名であった事は確かでしょう。大和の国の引田部神社は、その部族の祖神でしょう。日本の郷村で引田といわれる所がないのを見ても、この引田部族は余程強力な集団であったと考えられます。既に千年以前から、ここ引田郷の存在していた事は、和名抄(わみょうしょう)などの昔の本にかかれてあります。
 以上の文は現地環境庁(省)・香川県の説明板より転載しました。

  旧讃岐街道(遍路道)
 旧南海道跡で、古代都から国府並び讃岐へ行く官道であった。文治元年(1185)源義経は源氏の軍勢と共に平家追討のため阿波から讃岐へ、また天正十三年(1585)には四国征伐のため蜂須賀勢はこの道を讃岐から阿波へ越えた。藩政時代は、讃岐街道となり商人やお遍路さんなど旅人で賑わった。明治になると交通の要所大坂越えは右に道を造り、明治八年に完成させた。徳島高松間の重要な道路となり、現在は四国の道となっている。
 前回の記事の続き 
 http://blogs.yahoo.co.jp/takamaturocky/36256221.html

 大坂峠から降りてくる。
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 石畳みが残っている。
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 大坂峠へ
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 海蔵院山門
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 大坂峠園地
 徳島県道・香川県道1号 徳島引田線は、徳島県徳島市から香川県東かがわ市に至る主要地方道である。
 起点:徳島県徳島市庄町一丁目(徳大薬学部前交差点=国道192号交点)終点:香川県東かがわ市坂元(大坂峠入口交差点=国道11号交点)
 瀬戸内海国立公園大坂峠園地はパラグライダー・ハンググライダーの滑空するために造られた施設なのでしょう。
 淡路鳴門方面
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 瀬戸内海 播磨灘
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 相生の海岸
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--五色台スカイライン《県道281号》沿い--
五色台スカイライン《県道281号五色台線》は香川県坂出市の県道16号大崎の鼻から県道180号中山町までの風光明媚な道路です。この間にはミュージアムが2ヵ所と大崎山展望台など数か所の展望台がある。

 県道16号大崎の鼻の標識 奥に見えるのが瀬戸大橋
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 大崎山展望台 春には桜が咲いて綺麗だと思います。
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 大崎山展望台より鬼が島・屋島方面を望む
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 香川県立五色台少年自然センター 自然科学館
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 自然科学館の展示品 化石などの石類・鳥などの剥製・木の標本・昆虫の標本・縄文・弥生時代の遺跡から出土した石器・土器などを展示している。(無料) 詳しくは下記アドレスまで
 http://www.pref.kagawa.jp/sizeka/
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 瀬戸内海歴史民俗資料館入口 建物は壁面全体に石で覆われている。(無料) 詳しくは下記アドレスまで
 http://www.pref.kagawa.jp/setorekishi/
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 瀬戸内海歴史民俗資料館の展示品は木製の舟・祭に使われた舟・碇・櫂・瀬戸内海で捕れた陶器(舟で運搬中に転覆か積み荷を海に落としたもの??)・ルアー(疑似バリ)・漁具(タコ壺)・化石・海岸に流れ着いたもの・その他・屋外展示物に舟・燈台・石灯篭・周辺にあった石仏・道しるべ・塔などが収集され展示されている。
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 写真は2009年1月28日撮影

--県道135号(大串志度線)沿いと大串自然公園--
 県道135号(大串志度線)大串自然公園から志度駅前までの約9.6Kの間に志度寺(四国八十八ヵ所第八十六番札所)・平賀源内の墓があるお寺・玉に浦の歌碑・旧防波堤・クレーンの多田野の工場・徳島文理大・セシール・二子岩(島)・小串の鼻・大串自然公園・グリーンヒル大串・野外音楽テアトロン・さぬきワイナリー・などの景勝地や施設がある。

 志度寺仁王門前参道・右側に平賀源内の墓があるお寺左側に讃岐観音霊場第3番圓通寺がある。
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 玉の浦歌碑と石燈籠
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 二子岩(二子島と鴨部川との間を埋め立て現在の新開地区となった。後に鴨部川浄化センターと鴨庄ふれあいプラザと新開公園が出来た。)
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 鴨部川の干潟と小串の鼻
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 野外音楽場テアトロン(真夏に音楽祭がある。)
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 シーサイドコリドール(オートキャンプ場)
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 大串自然公園からの眺め・狼煙場跡・長ぞわい観音・海岸沿いに遊歩道・など 
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 さぬきワイナリー(工場見学・ワインの直売場・試飲あり)
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 写真は2009年1月7日・14日撮影

  県道36号沿い
 県道36号沿いを琴電八栗駅付近より四国最北端の竹居岬までを紹介します。源平屋島壇ノ浦の古戦場歴史街道・城岬公園恋人の聖地・セカチュー映画ロケ地・竹居観音などの観光地があり瀬戸内海の島々の風景も楽しめるドライブコースです。後日各施設は紹介したいと思っています。そ他にはイサム・ノグチ庭園美術館・洲崎寺・庵治漁港では日曜市などもあります。
 アクセス:国道11号を徳島方面の屋島を過ぎ八栗・庵治方面県道155号を斜め左に入ってください。標識の庵治方面の県道36号に入りましたら踏切と小さな橋がありますので渡って直ぐの左へ細い道に入ると史跡が続いてあります。

 源平屋島の古戦場 駒立岩(満潮時には水没します。)などが残っています。
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 石の彫刻が置かれている公園・この周辺は夏に「石明かりロード」のイベント会場になります。
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 城岬(しろばな)公園の純愛ロード(海岸通りへ寄り道)
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 五剣山の石切り場と工場群(工場の周辺にも石の彫刻が置いてある。)
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 平家が舟を隠したといわれる舟隠し地区(うどん店喫茶店などがある高台から撮影 海岸にも降りれます。)
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 四国最北端の竹居岬と竹居観音があります。
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 ☆☆県道36号沿いシリーズ1☆☆
 写真は2008年12月11日撮影

県道180号沿い
県道180号は県道16号の生島町交差点(下笠居小学校)より五色台(高松から坂出にかけての台地・瀬戸内海国立公園)へ入ると直ぐに生島の運動公園が右下に見え瀬戸内海を行きかう船が見えてくる。紅葉のトンネルの切れ目にはサンポート高松周辺や屋島の山頂が水平に見え、真ん中あたりに少しだけ頭が見える山が五剣山です。五色台に四国88ヶ所霊場札所が二ヶ寺あるが他にいろいろな施設があります。五色台少年自然センター(小中学生などが林間学校として利用されている。)、自衛隊の演習場(鉄砲の発射音が聞こえてきますが驚かないように!)、宿泊施設などの「かんぽの宿・坂出」、瀬戸内海歴史民俗資料館、等がある。白峯寺を過ぎると坂出方面の風景に変わってくる。南には飯野山(讃岐富士が山の間にみえる。西には瀬戸大橋も見える展望台がある。北側は松山地区南面の山肌にミカン畑が広がっている。)

瀬戸内海歴史民俗資料館は下記を参照ください
http://www.pref.kagawa.jp/setorekishi/toppage.htm
少年自然センターは下記を参照ください
http://www.kagawa-edu.jp/goshoa01/index.htm
かんぽの宿坂出
http://domestic.hotel.travel.yahoo.co.jp/bin/hotelshisetsu?chiku=R339&shisetsu=632
白峯寺は私のBlogで
http://blogs.yahoo.co.jp/takamaturocky/20272614.html
根来寺は私のBlogで
http://blogs.yahoo.co.jp/takamaturocky/19705434.html

 根来寺山門
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 伝説の牛鬼
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 少年自然センター入り口
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 かんぽの宿
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 白峯寺の鐘楼
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 展望台より讃岐富士方面
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 写真は2008年12月4日撮影

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