神社名:田潮八幡神社
主祭神:應神天皇(誉田別命)
創 祀:
住 所:香川県
電 話:
由 緒
 古くより鵜足郡津郷の土産神として應神天皇を祀り、青野山西麓に鎮座 土器八幡宮と崇められてきた。南北時代貞治元年(1362)七月 細川頼之(北朝方)が将軍足利義詮の命により、細川清氏(南朝方)を松山郷(坂出市松山)高屋の城に攻め入ったとき、出陣に際し、当八幡に戦勝を祈願した。清氏の西長尾(現まんのう町長炭) 中院源小将雅平に対しては、陽動作戦を似て戦い、清氏を高屋の西林田の地に討ち取ったことは「六平記」に記述してある。(細川将軍戦跡の碑がある。)「全讃史」には、はじめ源少将が攻めて来たとき、頼之は、しばらく当社付近へ退却したが、社前の水田地帯一面に潮が満ち、敵軍を防いだので、田潮八幡宮と称したと伝えている。また「讃岐国名勝図会」によれば頼之は宇多津の館に凱旋ののち、社領三十石を寄進し、祝勝の松を手植えしたが、掛け引きの松、陰陽和合の松と呼ばれて世に親しまれたという。境内には今に頼之松の石碑があり、往時のを偲ばせる。 
解 説
 石鳥居の貫石に「于時元禄十三庚辰年(1700)正月吉祥日 奉寄進鳥居施主田村伝右衛門易全」と書いている。生駒時代の末に土器に移り、子孫相次いでこの地を開拓した「田村易全」の寄進したもので、丸亀では最も古い鳥居の一つである。 
資料等:現地石碑、県立図書館蔵 直井 武久著「丸亀の歴史散歩」、
撮影日:2015年9月2日

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随神門格子天井画
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古い狛犬
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拝殿内絵馬 多数ある 見学自由
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本殿
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