阿波史跡公園
所在地:徳島県徳島市国府町西矢野
面 積:192,804平方メートル
特 徴
 縄文時代の竪穴住居跡が19か所と石器土器や水銀朱の生産。弥生時代では、阿波では最大級の集落跡が確認されている。砂鉄を原料にして作られた鉄片が多量に出土建物跡が見つかっています。朱の生産は最盛期を迎えたと考えられています。
 弥生時代後期の銅鐸や蛇紋岩製の勾玉、碧玉製の管玉、水晶製の算盤玉、ガラス製の小玉などの装身具が出土しています。
資料等:現地説明版&矢野遺跡パンフレットなど
開設日:平成5年3月31日 
撮影日:2015年3月22日
近隣施設:国分寺、矢野の古墳、常楽寺、大日寺、

矢野遺跡
 矢野遺跡は、徳島市の西端に位置する国府町矢野地区と西矢野地区に広がる遺跡です。鮎喰川と気延山に挟まれた位置にあり、鮎喰川がもたらす土砂によって形成された微高地で、古くから多くの人々が生活を営み、中世に至る頃まで阿波国内でも栄えた地域であったことが発掘調査からわかってきています。

竪穴住居
 竪穴住居は、地面を掘り下げて床と壁をつくり、堀立柱を立て、屋根を地面近くまで葺き下ろした半地下式構造で、防寒・保湿性に優れ、縄文・弥生・古墳時代を通じて最も一般的に造られた家屋です。
 住居の平面形のものが流行し、弥生時代の終わり頃から古墳時代にかけては、隅丸方形や方形のものが多く造られるようになりました。
 この復原竪穴住居は、中央に炉を設けた隅方形(長方形)で、壁ぎわに沿って寝台がわりにしたとも言われる一段高いベット状遺構を有するもんです。主柱は4本、建築材は樫、桜などの落葉広葉樹雑木丸太を使用し、屋根は葦で葺いています。

高床倉庫
 建物の床を地上より1~2m高く張った高床建築で、弥生時代に稲作とともに伝わり、収穫した稲などの穀物を貯蔵する施設として、数件の竪穴住居と一緒に集落の中に建てられていました。
 各柱の床下付近に取り付けられた方形(円形)の板は「鼠返し」と呼ばれ、倉庫の中の穀物を鼠や害虫から防ぐための工夫で、当時の人々の知恵がうかがえます。
 弥生時代の典型的な高床倉庫としては、実際に出土した建築材に基づいて復元された静岡県登呂遺跡のものが有名ですが、銅鐸や弥生土器に線刻で描かれた高床建物の例からも、その外観的な構造を概ね知ることができます。
 この復元高床倉庫は、長さ約6.6m×幅約5m、床高約2.3m、棟高約8mの切妻造りで建築材は杉で、床や壁などは杉板張り、妻部の破風や棟は杉皮張り、屋根は葦で葺いています。


イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

詳しい地図で見る