名  称:波止浜燈明台
住  所:愛媛県今治市波止浜四丁目
作 者:今治城下 石工 木村 忠右衛門
周辺施設:
資 料:今治歴史探訪WEB&現地説明版
撮影日:2014年6月9日撮影
 灯明台は「和式灯台」とも呼ばれ、明治になって洋式灯台が築かれるまでは、灯台の役目を果たしていました。幕末のころ、全国には100基余りあったと伝えられ、波止浜港に残る灯明台もその一つです。
 波止浜のものは、花崗岩の切石を積み重ねた石造灯明台で、嘉永二(1849)年の築造です。塔身部には「金毘羅大権現」の文字が刻まれ、航海安全を神に託す、時の海事関係者の思いが込められています。
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 奥深い入江が箱のような形をした波止浜湾は、筥潟湾と呼ばれ、古くから帆船の重要な風待ち、潮待ちの天然の良港で、戦国時代は来島水軍の船溜りとして重要視され、天和三年(1683)以降の塩田開発による町家の増加、塩買船、塩田資材を供給する船の出入りが多くなり、港町とし発展し、伊予の小長崎といわれるほどに成長した。
 元禄十六年(1703)には港の入口に出入船舶を監督する船番所が置かれ、船舶と他国者の出入りを厳しく取り締り、船税の徴収にもあたった。今もその付近を御番所前という。(現在地より北の方、ドックの中あたり)
 この大灯明台は嘉永二年(1849)に御番所前に建てらたもので、当時の波止浜の人々の意気を示している。明治三十五年(1902)に現在地の移された。
 南面に嘉永二己酉十月吉日、海上安全と彫られ、東面には金毘羅大権現と彫られている。
 この前から来島、小島、馬島への渡船が発着している。

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