地神社 祭神:埴夜媛命(埴夜須毘賣神) 八幡神社境外末社  坂出市寿町2丁目5
 地神社の由来 文政七年(1824)高松藩主、松平頼恕公により坂出郷普請奉行に任ぜられた久米通賢は、西新開区域の海岸線中央に地を卜して、同年五月二十一日地鎮の祭典を挙げ、工事に着手し、その後筆舌に尽くし難い苦難を乗り越え、文政十年八月、塩浜三十五軒前、畑方三十七町歩、屋敷地三町余の西新開を完成されました。
 藩主、頼恕公は之を嘉し、八月六日、この地に塩田堤防の捨石を台座として、天照大神、埴安媛命などを地鎮の神幢を安置して、西新開の守護神として創祀せしめました。
 以来、この地域の発展に伴い、ますます尊崇され、その境内広場では芝居興行、盆踊り等、諸行事が行われ住民たちの憩いの場として、重用されたのもご神徳のお陰でありました。・・・以後略
 以上の文は現地説明案内板より転載しました。
 
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境内に咲いていた牡丹
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 地神井戸
 文政七年(1829)、久米通賢により百十五ヘクタールの塩田と、百十六ヘクタールの畑地が坂出に造られました。
 しかし、遠浅の海を埋め立てての開発であったため、井戸を掘っても塩分が混ざってしまい飲み水の確保には苦労していました。通賢は上水道を敷設する計画も立てましたが、残念ながら、墾田の終了と共に任を解かれたため、実現には至りませんでした。
 その後、安政年間(1854~1859)に庄屋の宮崎駒吉が中心となり、通賢の計画をもとに簡易水道を完成させました。この簡易水道は木や竹の管を使い、角山(津ノ山つのやま)北麓にある大堀と呼ばれる水源池から、ここ地神社の井戸を経由して、旧中央小学校附近(当時は鹽窯神社がありました)へと水を運ぶもので、香川では二番目に古いものでした。
 以上の文は現地説明案内板などより転載しました。
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 写真は2013年4月24日撮影
 場所はスポットノート『神社祠map』に投稿します。
 
 
 
坂出の地名の語源は「宇多津の田尾坂を上って出た場所」と言う事。
明治23年(1890)2月15日 町村制施行に伴い、阿野郡坂出村(さかいでむら)が町制施行し、坂出町(さかいでちょう)が発足。
坂出市の昭和の写真↓↓↓↓
http://www.city.sakaide.lg.jp/soshiki/tosyokan/lib-eizou-syowa1.html