【祇王山・専光寺】
 祇王山頓乗院専光寺 香川県高松市香川町東谷下谷 宗派:真宗仏光寺派 本尊:阿弥陀如来立像
 由緒
 『御領分中宮由来・同寺々由来』の専光寺の項に「讃州常光寺末寺 開基明応年中、浄信と申僧諸旦那之以助力建立仕候事。」とあり、また『讃岐国名勝図絵』には「当寺は明応年中、沙門浄信創なり。天正年中に兵火にかかり慶長年中再興せり。国祖君近臣大沢某の子、公命により当寺に住職せしかば、仏器および武器などもたまへり。」とあることから明応年中(1492~1501)に浄信によって開基されたことがわかる。その後、氷上村常光寺の法照という僧が専光寺として再興し、更に元禄四年(1691)に鵜足郡西光寺から慶巌が入寺して仏光寺の末寺となった。
 また『常光寺文書』には「龍雲院様御入国(途中虫損の為不明)下谷村専光寺御用ニ付キ(途中虫損の為不明)指上申候、然ルニ専光寺末寺拾三ヶ寺(途中虫損の為不明)・・・以下略」とあるから江戸時代には末寺が十三ヶ寺もあった事が判明する。なお、『讃岐国名勝図絵』の香西・国清寺の項に「当寺(国清寺)開基未詳。古くは同郡東谷村にあって極楽寺と号する。」一方『香川郡誌』の専光寺の項には、「天平八年三月行基が開基したと伝えられ、宗旨は天台宗で寺号を極楽寺と称していた」と記しており、極楽寺(国清寺の旧跡)と当寺との関係が興味深い。おそらく極楽寺跡に当寺が建立されたのであろう。
 なお当寺本堂に安置されている石造りの阿弥陀如来は祇王・祇女伝説に基づく祇王・祇女念持仏と伝えられている。
 高倉天皇の1170年ころ京都に「祇王(ぎおう)」、「祇女(ぎじょ)」という二人の姉妹がいて「平清盛」に可愛がられていたが、新しく「仏御前」が入って折合が悪くなり、姉妹は母と共に嵯峨の山中に身を隠していた。此の事を知り、「仏御前」も自分の非を悟り尼になった。これを知った清盛は怒り、二人の姉妹を引き戻そうとした。二人は讃岐国香東郡東谷村へ入り、仏道に励んだ。時が移り、平氏の滅亡を知った姉妹は再び嵯峨の地に帰ったと云う。里の人達は此の姉妹の住んでいた山を祇王山と呼び、修行していた寺を祇王寺とよんだという。
 以上の文は香川県立図書館蔵香川町誌より転載しました。
 写真は2012年2月5日撮影
 場所はワイワイマップ(源平ゆかりの地map)にスポット投稿します。

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 山門
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 本堂
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 鐘楼
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 納骨堂
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 祇王・祇女稱念堂址(しょうねんどうあと)
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 境内
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