【東山・繁多寺】 |
天平勝宝年間(749~757)、孝謙天皇の勅願により、行基菩薩が座像三尺の薬師如来を刻み、本尊として開基した。
弘仁年間(810~824)、空海が留錫して修行され、東山・繁多寺の山号・寺号お名付けられ、四国五十番札所と定められたと云う。
以来、寺運は衰退し、境内や伽藍はさびれるに任せていたのを、「源頼義」が再興し、弘安二年(1279)には後宇多天皇の勅命(蒙古襲来の退散祈祷)を奉じて「聞月上人」がこの寺でその祈祷を行なっている。
天和()の頃、「龍湖」と云う名僧が出て、徳川家の帰依を得、四代将軍の念持仏の一つであった歓喜天を付託されて、聖天堂に祀っている。
歴代の皇家の尊宗を得た証しとして、十六弁の菊の紋章瓦が残されている。
時宗の「一遍上人」も留錫し、修学されたと云う。
089-975-0910
文は四国八十八ヶ所詳細地図帖より転載しました。
写真は、2011年11月21日撮影
場所はワイワイマップにスポット投稿します。
弘仁年間(810~824)、空海が留錫して修行され、東山・繁多寺の山号・寺号お名付けられ、四国五十番札所と定められたと云う。
以来、寺運は衰退し、境内や伽藍はさびれるに任せていたのを、「源頼義」が再興し、弘安二年(1279)には後宇多天皇の勅命(蒙古襲来の退散祈祷)を奉じて「聞月上人」がこの寺でその祈祷を行なっている。
天和()の頃、「龍湖」と云う名僧が出て、徳川家の帰依を得、四代将軍の念持仏の一つであった歓喜天を付託されて、聖天堂に祀っている。
歴代の皇家の尊宗を得た証しとして、十六弁の菊の紋章瓦が残されている。
時宗の「一遍上人」も留錫し、修学されたと云う。
089-975-0910
文は四国八十八ヶ所詳細地図帖より転載しました。
写真は、2011年11月21日撮影
場所はワイワイマップにスポット投稿します。
山門
本堂
大師堂
鐘楼
天井画は『御伽草子』(おとぎぞうし)より
歓喜天堂
手洗盥
修行大師像
地蔵堂
毘沙門天堂
法界塔・南無興教大師像
本堂
大師堂
鐘楼
天井画は『御伽草子』(おとぎぞうし)より
歓喜天堂
手洗盥
修行大師像
地蔵堂
毘沙門天堂
法界塔・南無興教大師像
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yahooトップページ→地図→ワイワイマップ→「空海」で検索→《空海ゆかりの地と四国八十八ヶ所+別格二十霊場MAP》を スクロールで選定する。
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