【法然寺五重塔】
 仏生山・来迎院・法然寺(ほうねんじ)は、香川県高松市にある浄土宗の寺院。本尊は法然作と伝わる阿弥陀如来立像。法然上人二十五霊場第二番札所、さぬき七福神の大黒天。

 法然寺は、建永二年(1207)讃岐に流された浄土宗開基 法然上人ゆかりの生福寺(旧高篠村、現満濃町)を高松藩初代藩主松平頼重公が現在地の雄山に松平家菩提寺として再興したお寺である。寛文八年(1668)以前からあった「ちきり神社」を現在の雌山に移してから三年余の歳月を要して多くの門と堂を完成させた。
 建物は、当時建てられたものも多く残り、江戸時代初期の建物群としては、県下屈指のものである。
 寺域内の雄山山頂の般若台には、初代頼重、三代頼豊、四代頼桓、五代頼恭、六代頼真、七代頼起、八代頼儀、十一代頼聡、の歴代藩主をはじめ、松平家一族の基碑が建ち並び荘厳な雰囲気を醸しだしているようです。
 法然寺の門は、総門、黒門、仁王門、四天王門跡、鐘楼門、涅槃堂門、本堂門、堂宇としては、本堂、書院、納骨堂、三仏堂(涅槃堂)、大師堂、二尊堂、来迎堂、五重塔、その他がある。
 観世音功徳図(明治34年3月27日指定=絵画)、十王像(明治34年3月27日指定=絵画)、源氏物語図(明治34年3月27日指定=絵画)、後深草天皇宸翰御消息(昭和35年6月9日指定=書跡)などの国指定の重要文化財がある。県指定文化財は、木造阿弥陀如来坐像=彫刻、木造釈迦如来坐像=彫刻、木造弥勒菩薩坐像=彫刻もある。
 前回法然寺記事(2009年5月5日)2008年5月23日撮影
 http://blogs.yahoo.co.jp/takamaturocky/26375445.html
 写真は、2011年7月5日撮影
 場所は、ワイワイマップにスポット投稿します。 

 <><>生福寺
 高松藩初代藩主松平頼重が、天正年間の長宗我部の兵乱で荒れ果てていた。讃岐に流された法然上人開基の生福寺(那珂郡小松庄・現仲多度郡満濃町)がで荒廃しているのを憂い、寛文十年、生福寺を松平家の菩提寺として香川郡百相郷(現在地)に3年余の歳月を要し移転・建立した。寺院背後の仏生山丘陵上を削平し「般若台」と呼ばれる松平家の墓所を設けて、当寺院を高松藩主松平家の菩提寺とした。仏生山(ぶっしょうざん)来迎院(らいごういん)法然寺と改号
 法然上人所縁の西念寺
http://blogs.yahoo.co.jp/sanukimesatobuttestyle/24080759.html

 総門
 前山坂を登ると東の入口の総門があります。南側には番所があって、ここを通って法然寺の参詣出来るのは侍や町年寄など身分の高い人だけでした。一般の人は裏門からの参詣を常としていた。明治維新後は総じて自由に往来をが許された。
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 仁王門
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 本堂
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 三仏堂(涅槃堂)
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 大師堂
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  五重塔
 頼重公にも、生前叶わなかった願いがありました。自らが開基となり建立した仏生山の山頂から「仏舎利」が見出され、これを安置すべき「五重塔」を建立するという願いでした。残された絵図面には、その予定地がはっきりと印されています。
 五重塔(平成二十三年一月二十五日完成)
 高松城から法然寺までをお成り街道と呼ばれ、門前町仏生山は古い商家が今も残っています。
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