【中村城(為松城)】
 中村城(なかむらじょう)は、高知県四万十市(旧中村市)丸の内にある中世から近世にかけての連郭式平山城跡。主な城主は為松氏、一条氏、山内氏
 城は西に四万十川、東に後川が流れ、中村平野を一望出来る丘陵に築城され、面積はおよそ10,586平方mあり、東城,為松城,中の森,御城,今城の五郡城を統合したもので、平野部を東西に通ずる陸路の要を押さえ南北と西部に至る河川により攻防いずれにも臨機応変の戦いに備えることが出来た。
 遺構は石垣が残っている。石垣は昭和40年(1965)年に発見されたもので、中村藩二万石2代藩主山内政豊時代の慶長18年(1613)に修復されたものであると考えられている。現在は「為松公園」になっており、二の丸跡に模擬天守(三層六階)の四万十市立郷土資料館がある。

 応仁の乱を避けた一条教房が、荘園であった中村に下向しそのまま戦国大名として土着し、元々この地にいた豪族の為松氏が家老として取り立てられ、その為松氏により築城されたのが始まりと考えられている。
 一条兼定の時、兼定は素行が悪く家臣により豊後へ追放され、その後一条家は長宗我部元親に攻められ滅亡する。
 関ヶ原の戦い後、戦功により山内一豊に土佐一国が与えられ、山内一豊の弟康豊が入るが元和の一国一城令に伴い廃城となった。

 四万十市立郷土資料館は昭和48年に幡多市町村圏事業として「為松公園」の一條時代の山城二の丸に建設された。安土桃山時代の初期の城郭、愛知県の犬山城をモデルにしている。
 展示品は幡多(高知県西南)地域の自然(ニホンカワウソの剥製・四万十川水石・昭和南海地震写真パネル)・歴史(土佐一條家・幸徳秋水・中村山内家・樋口真吉・間崎滄浪=哲馬)・芸術・文化(遺跡からの出土品)等の郷土の財産の数多くを保管、展示している。(有料大人\310)
 六階の展望台(天守閣)からは旧中村市が見渡せる。
 電話 0880-35-4096
 以上の文は、Wikipedia&郷土資料館パンフレットなどから転載しました。
 写真は、2011年6月14日撮影
 場所は、ワイワイマップにスポット投稿します。

 中村城祉
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 模擬城(郷土資料館)
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 石垣
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 階段
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 展望台からの眺め
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 館内の展示物
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