【高知城・天守】
 高知城は高知県高知市丸の内に現存しています。
 城郭の形式は梯郭式平山城。高知平野のほぼ中心に位置し、鏡川と江の口川を外堀として利用している。現在見られる城は、江戸時代初期に、土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2代藩主「忠義」の時代に完成した。4層6階の天守は、一豊の前任地であった掛川城の天守を模したといわれている。
 通称 大高坂山城、河中山城 、城郭構造 梯郭式平山城、天守構造 独立式望楼型 4重6階(1601年築・1747年再)、築城主 山内一豊、築城年 1603年、主な改修者 山内豊敷、主な城主 山内氏 、廃城年 1871年
 遺構 現存天守・御殿・櫓・門・石垣・堀
 明治6年(1873)に発布された廃城令や、第二次大戦による空襲を逃れ、天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定されている。
 昭和9年(1934)天守など15棟の建造物が国宝保存法に基づく国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定される。
 昭和25年(1950)天守等15棟は文化財保護法の施行により国の重要文化財に指定される。(天守,懐徳館,納戸蔵,黒鉄門,西多聞,東多聞,詰門,廊下門,追手門,天守東南矢狭間塀,天守西北矢狭間塀,鉄門西北矢狭間塀,黒鉄門東南矢狭間塀,追手門西南矢狭間塀,追手門東北矢狭間塀,)
 昭和34年(1959)6月18日国の史跡に指定された。
 平成18年(2006)4月6日、日本100名城(84番)に選定され、平成19年(2007)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。
 <>天守<>
 日本国内に12箇所現存する、江戸時代以前に建造された天守のある城郭遺構の一つである(現存天守、国の重要文化財)。南北に千鳥破風、東西には唐破風をつけた安土桃山時代の様式である。最上階の高欄
は、徳川家康の許可を得て造ったものといわれている。
 独立式望楼型4重6階、1重目の屋根を腰庇として3重6階と数えられることもある。天守台がなく本丸上
に、直に礎石を敷き御殿に隣接して建てられており、このような本丸を最後の防衛拠点とする構えは慶長期の城にみられるものであるという。
 創建時のものは享保12年(1727)に焼失し、延享4年(1747)に焼失以前のものを忠実に再建されたものといわれており、高欄を設けるなどのやや古風な形式(復古型)をとっている。
 以上の文はウィキペディアより参照しました。
 高知城は3回に分けて投稿します。(天守、天守・本丸内部、石垣(野面積))
 写真は2010年12月8日撮影
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。

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