<><>佐藤継信の墓と太夫黒の墓<><> |
佐藤継信は源平合戦屋島の壇ノ浦の合戦で義経の身代わりになって戦死した。(享年28年とも言われています。)
寛永20年、松平頼重公が新しく墓石を建てて、その忠死を称えました。
昭和6年5月、継信30世の孫・山形県人「佐藤信古」氏が更に大修築を加えて面目を一新しました。
太夫黒の墓
後白河法皇から義経に賜った馬で、継信の忠死を賞揚する余りに、義経はこの馬を志度寺の覚阿上人に施して佐藤継信の菩提を弔わせました。太夫黒がたおれた後、継信の墓域内の右奥に埋めたと言われています。
記事は現地案内板などより転載しました。
写真は2009年7月27日撮影
後白河法皇から義経に賜った馬で、継信の忠死を賞揚する余りに、義経はこの馬を志度寺の覚阿上人に施して佐藤継信の菩提を弔わせました。太夫黒がたおれた後、継信の墓域内の右奥に埋めたと言われています。
記事は現地案内板などより転載しました。
写真は2009年7月27日撮影
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