--禅定寺-- |
空海とゆかりの深い霊地として伝説が残っている。
「われ仏門に入り、衆生(しゅじょう)を済度(さいど)したい。この願いをかなえるのなら釈迦如来よ、わが身の前に現れたまえ。かなわないなら一命を捨てて、わが身を諸仏に供養したてまつる」。こう唱え、空海(幼名・真魚(まお))が七歳の時、この山の断がいから谷底に向かって身を投げた。ところがにわかに紫雲たなびき、天女を従えた釈迦如来が現れ、天女が真魚をしっかりと抱き止めた。この時、真魚は「一生成仏」と言ったという。この霊験により、真魚が身を投げた断がい絶壁「捨身ケ嶽(しゃしんがたけ)」に禅定寺(ぜんじょうじ)を建立したとされる。
もともとはここが札所だったが、約三百年前にふもとに下り、今は出釈迦寺の奥の院となった。
《2012年9月1日記事の修正》
山門
我排師山腹の禅定寺
県指定43号保存木:杉
禅定寺鐘楼
登山道脇の石灯篭
天霧山と多度津方面
写真は2009年2月13日撮影
我排師山腹の禅定寺
県指定43号保存木:杉
禅定寺鐘楼
登山道脇の石灯篭
天霧山と多度津方面
写真は2009年2月13日撮影
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